あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

野田さんは、

ツィッターのシステムでは、返信機能の使い方で、わたしを挟んであっちの友人とこっちの友人がやりとりできるようで。 ちょっと、奇妙な気分。

わたしが珍しく けーすけクンのつぶやきに返信し、
それにくんちが反応して返信したら、
けーすけクンにまで筒抜けだったということみたい?
しかも けーすけクンというのは、こーいうことにもマメマメしく対応してしまう男子だ。 ありがとうネ。

もうひとつ。
わたしはツィッターには実に不向きだと、つくづく確認。 
ごく軽い異論を、微妙なことまで言い募りたいのを、140字だかで中途半端にまとめたら、
かなり皮肉な否定意見にしかならない気がして、かなり失礼じゃん。
結局、沈黙を選ぶことになる、という。

で、
言い募りたいから。
ぐるぐる考えちゃったから。 
こうして続きの考えをブログに書くことになる。 面倒な。
ま、いいキッカケだと思うことにしよう。

     *   *   *

始まりは、ツィッターでけーすけクンが、組閣というか内閣の役割りを、演出部スタッフィングに例えたこと。
総理=主宰はまだしも、国民=主演というのにヒッカカり、観客でしょう?と返す。
いや、なんとなく予想してたけど。
田中圭介という演出家は、最後の詰めをロマンティックで崩したがる傾向があるというか。 
他の人にも言われました、最後のは希望です、と返信がくる。

(で、この国民=観客の説明に「ブーイングばかりの傍観者」とわたしが書いたから、くんちが引っかかってきちゃったの)

     *   *   *

書きたいのは、この先。

内閣を演出部に例えることで、
くんちが、施政が稽古不足で最低な芝居だったら 云々、と言ったことで、
見えてきた感触があるの。

自民党が花盛りだった時代の施政は、実はよく計算され、稽古されてた芝居、だったのかもしれない。
と考えると、
目も当てられない大混乱で幼稚でカオスな、今の施政は、
民主政治として、案外、とても正しいのではないか、とか。 (言いたいこと、わかる?)

だれかが書いたシナリオ通りに運ぶことが正しい政治である時代は、終わったのでは?
みんなが己の欲と立場をわーきゃー主張して、
ちょっとずつちょっとずつ馬鹿馬鹿しい折り合いをつけていくのが、今のカタチで。

で、たぶん。 今後は、民主政治?に替わる思想体系が必要とされてくるんだろうなと思うのだけれど。
天才が現れるのを待つか、
無駄が多くとも、ゆっくりと時勢が流れていくのを待つか、ということで。

     *   *   *

民主党の代表選を観ていて(傍観してて)、
野田さんの情感たっぷりな「最後のお願い」には、スッカリ引いてしまったのだが。
選任後の第一声の挨拶には、
ああ、この人は、今、言うべきことがわかっている人なんだな、と思った。
党の若い人たちの声を、ちゃんと訊いている人なんだろうな。

民主党の幹部(政治部代表)と若手(国民代表)の温度差を、橋渡しできる人なんだ、みたいな。 
たぶん今後、政治のあり方も変化していくんじゃないのか?
と、なんだか、楽しみになってきた。
(わかり辛かったら、自民党を観察してみましょう。 とても古臭い考えややり方に縛られているのが、なんとなく見えてくる。 =民主党超幹部たち)

もっとも、野田さんて。
喩え言葉を濫用する傾向が、うそ臭くもあるんだけどな。 親しみやすさの演出なのかな。
充分、愛嬌はあるように見えるが?

 

そして、
国民と施政との係わり合いも、今後は少しずつ、変わっていくと、いいなあ。
観客から、主演?を目指して?
声の反映って意味では、演劇ではマーケティング分野になっちゃうか?
(だから、無理に、比べるコトないって)

 

朝がきたら、組閣発表かな。 御手並み拝見。 
こんなに政治が楽しみって、始めてだなぁ。