あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

価値観

どこから話そうか――

ここにきて、価値観がものすごく変わってしまったようで。
大好きだったモノが、砂みたいにしか感じられなかったり、
ステキであるはずのモノが、退屈で無意味にしか見えなかったり、
では感動しなくなったのかと問えば、おとといジャケ買いした「SARU」というコミックを、ちゃんとドキドキしながら読んだ!し、

その前、邦画のレンタルを4本まとめて観たとき、
おもしろー!って興奮するところと、
下っ手だなー!って残念がるところがハッキリしてたことを思うと、

やっぱり、自分の中の定規の目盛りが変わったのだと思うしかない。

 

だから、

すごく怖いのは、

大好きだったモノとか人とかに、うっかり触れて、砂みたいにしか感じなかったら

どうしよう、と。

 

うん、友人の出ている芝居を観にいくのが、こわい。 行けない。
大好きだった友人を
うぁっ、つまんねー!なんて、感じたくない。 絶対に。

 

たぶん、知恵熱みたいな?

 

 

5月末あたりから、
自分にいるモノといらないモノの識別が始まって、
基準点は何かっていうと、そのとき書こうと思いたった戯曲に関係するか・しないか、で。
逆かな。
余計な影響を受けたくないって、感じてしまったってほうが正しいかな。

プロットが形になり、書き始めた6月の半ばあたりからは、
ほかのことも全然したくなくなって。 
実は、ブログも書きたくなかったけれど、
更新が1週間空いたら孤独死していないかチェックしてねなんて約束をしてあるので、
あ、5日空いたと気づくと、無理に書いてたりして。

実はマジ、
書く、喰う、寝る、気晴らしのゲームをする。 ネットやTVを見る。 以外をしてなくて。
時間の使い方も動物並み。
4ページ書いたら、ばったり倒れてそのまま寝る、とか。
モニターを睨みながら固まって、気がついたら朝になってた、とか。

だって、今、やってみないといつ出来るかわかんない?と思ったら、
本能のままにただ生きる、という生活をしてみたくなった、とも言える。

途中1回だけ、誘われてお稽古場の見学には行った。
メンタルケアの講座にも3回行ったわね。
そのとき、自分が人間として変なことになってる?という実感はなかったから。
たぶん大丈夫なんだろーなあ、と。 

え? ああ。 あのね、ごめん。
すごく、幸せだった。 
人間としては失格だけど、「わたし」として生きるって意味では、満たされてたんだよ。
ある意味、一番したいことだけを、してたわけで。 

戯曲は7月の半ばに、書きあがった。 山梨の家に行く前ね。
で、人間に戻った。 ブログも書けるようになったし。
それから、気づいた。
わたし、好き嫌いが、すっごくキッパリはっきりと――??

 

 

人間らしく生きる、って何? って、考えるの。
この生活、自由すぎる生き方、資本主義な社会では認められない、よな。

 

 

書いた戯曲は、書いたけれど、
自主公演するには、ちょっと手に負えなさそうで。 保留。 
身体能力のある役者さんじゃないと、ヤだし。 制作とか、スタッフワークをする決心もつかないし。
とりあえず、公募に出した。

で、次。 どうしようかなと迷う間もなく、次のネタはちゃんと降ってくる。
んんんん。
書く、考える、組み立てる、世界を創る、のが、好き。
まだ、しばらく、
生きることに飽きたりする予定には、ならないみたいか?

それとも、人間に戻るべきなのか?