友人に貸したゲームが、いろんなお土産と一緒に返されてきたとき、
何故か、小ぶりなかぼちゃも一緒に入っていた。
濃いグリーンとごつごつした質感が、とても美しい。
( ↓ ↓ バラの写真を撮ったときに、一緒に写したのを思い出した)
この造形や質感を、
たとえば絵画として真似たい!と思うのは、人間の思い上がりじゃないのか、と考える。
いずれこの世から消え去るのだということも含めて、
目の前のモノを、今、そのまま、愛でればいいんじゃないのか?とか。
かぼちゃがそこにある、という感動。
なんで絵を描きたいと思ったのかな、昔の画家は。
(と、美大出が言うな、かもしれないけど)
ゴッホは何故、絵を描きたかったんだ? (と、話はそこまでいきまする)
それから2週間。
おしりが少し黄色くなってきたので、いよいよ食べようと決心する。
包丁を入れる。
こういう大振りで硬さを持った野菜は、包丁を入れたあと、少しネジって割るようにして切るのが、コツ。
わぁ。 スイカみたいなフルーティな匂い。
果肉は薄い黄色で、タネのまわりの綿がオレンジ色。 皮の濃いグリーンとあいまって、
なんともなんとも美しい。
白い鍋の中が、わーおと言いたくなるほどの鮮やかさだった。
が。
ありゃ。
煮付けたが、水っぽくて味が薄くて、うーん、ごめん、旨くない。
(2週間、窓辺に飾っているうちに味が落ちたってこと、あるかな?)
皮の苦味も強めなので、せめて、半分はまだらに剥いて煮ればよかった。
いや、
皮のあたりの味の強さがなければ、びしゃびしゃなだけだから、これでいいのか?
メントリ? んなもの、しませんよ。 家庭で作る煮物なんて、こんなもんです。
ハンサムさんだからって、中身がおいしいとは限らないわネ!という、お約束な顛末でした。
(送ってくれた雷には、内緒)