数日前に書いた「負け犬は誰?」という文章。
とても迷いながら書いていて、
もしも、
わたしらしくないと感じた方がいたとしたら、かなり鋭いと思うのですが。
昔のわたしだったら、
問答無用で本人たちに「久しぶりに遊ばない?」とメールしているはずで。
もうひとつ。
負け犬はイヤだと怖れる性格は、ブログを読んだよ、呑もう!とわたしにメールできない。
はい。 そのことを前提とした確信犯な文章です。
ヤなヤツだね。 [E:coldsweats01]
なんていうのかなあ。
なぐさめてほしい人をチヤホヤとなぐさめるのはね、難しくないんだ。
でもね、その人が原因を気づいてくれないと、同じことの繰り返し。
わたしの努力や、創意工夫な言い回しの甲斐もなく。
昔はわたしも余力があったから、性懲りもなく、繰り返せたんだけれど、
最近は、それ以外にもっと優先してやることがあるよな、という判断があり。
そうでなくても、どーいうわけか、
わたしの周囲には「褒めて褒めて!」という人が集まりやすいので。
(世の中、褒めてもらえる機会があまりないってことか?)
だから
せめて行動にできる人なら、話する甲斐はあるよねって判断。
行動できない人は、
ごめん、自分で不幸なままでいてください。 あなたの権利です。
と思うことに、した。
どうなんだろうなあ。
気づいた者の責で、なぐさめ方を知っている者の責として、
手を差し伸べるべきなのか? ? ?