TVドラマで『新選組血風録』が始まりました。
大河ドラマと続けて父と観ながら、この原作は衆道がらみで揉める展開じゃなかったっけ?と父には訊けず、
でもNHKだからなぁ、いやいやBL感覚でアリなのかなぁとか思いながら、
結局、
「死刑廃止」とか叫ばれている時代に、今更、人を殺して侍としての生き方を極めるってテーマはどうなんだろうね、という話題を振ってみましたが。
父は、単純に時代劇が好きなので、どうでもよかったようで。
さて同時に、
日本古来の「死の美学」が、今や死語になっていることに気づいたのでした。
20代のころは、意識していたのになあ。
年を重ねるうちに、と同時に、時代の価値観の流れとしても、風化してたらしい。
実は。 震災が起こって吹っ飛びましたが、その前のしばらく、「人間は自らの死を選ぶ権利がある」ことについて考えていました。 なのに、「死ぬ美しさを意識することで生き様も美しくなる」という考え方をすっかり忘れていた自分に、あきれたというか、忘れるものだなあ、と。
文化として、見直すべきなのかどうかは不明です。
でも何か、今のわたしたちへの問いかけにはなるのかな。
『新選組――』に関していえば、
自宅にもどって、本棚から原作を取り出し。 夕べは第1話だけ読み。
さすがの司馬遼太郎、
もっと大局から人間を見ていて、さらりと洒脱で、価値観を押し付けていない。 と思う。
あ、TVドラマのほうはたぶん、青春ドラマとしてつくっていると思います。
先日、『三銃士』を読んだとき、
もうこれは、歴史的・国別価値観の差!と考えるしか処理できなかったことに比べると、
マシ、か。
ん。 これを切り口に、捉えなおせるか?
20年くらい前に、子供向けの『三銃士』しか読んでないと言ったら、チカちゃんに、原作は全然違うから一回くらい読んだほうがいいよと言われたのを懐かしく思いだしながら、
読み始めて。
物語の波に飲み込まれるまで、ホント、てこずった!
主人公たちが街中で喧嘩して、相手を剣で刺し殺しちゃうのが美徳らしいし、
恋の相手は、オトコの勲章として自慢するための、(美しい)人妻であるのが当たり前みたいだし。 王妃の浮気の不注意を隠すために、みんなで命を投げ出すのが――男気?
なんで、この原作が今更???
観なかったけれど、人形劇では、どう処理してたのか。
今度のミュージカルでは、どう処理してるのか。
(原作ではリシュリュー卿がお約束の悪役というより、懐の深い巨悪みたいなのが、ちょっと楽しい。 ミレディー嬢、かっこいい!のと)
まあ、つまり。
今、わたしたちが絶対の真実として語り合っている、人間としての正しく美しいあり方も。
100年後には、風化している可能性が大だということですね。
そして、それでも変わらない、輝きも、あるはず。
震災の報道などを見ながら、ずっと底のほうで感じていた気持ち悪さ。 偽善に近いけれど、偽善とは違うもの。 に、先週、ようやく言葉があてはまり。
その対極がこのあたりなのか、とも。