あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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『裏屋根裏』を観た

2011.3.23. 19:00- ザ・スズナリ / 燐光群

たぶんわたしが最初に観た燐光群は、TV中継の『屋根裏』だったんだ。 
次々とほとばしるアイディアや因果や不条理に、役者さんたちの端正で詩的な存在感に、こんな演劇があるのか!と大好きになったの。

とても身近な生活の描写に感じていたので、この作品が世界各国でさまざまな形で公演されていると聞いたとき、作・演出・美術・音響の坂手洋二さんご本人に、日本以外で理解されるのですか?とうっかり訊ねてしまった。 いや、アメリカとかのほうがむしろ深刻に受けとめるよと言われ、そうかこれは、人間の共通する深層に届いているのかと気づかされた。

深層、というより。 ひとりの人間の内面をひとつの家に置き換えてみたとき、人の内面の屋根裏に当たる部分は、孤独で刹那く、隠されているけれど表層に近くて。 泣きたくなる。

さて今回はネ、
海外のキャストが交じって、韓国語、英語、中国語、インドネシア語、日本語が入り乱れている舞台となった。 当然? 全然、まるで、違う印象の舞台になっていてびっくり。
それがよくもあり、残念でもあり。 
ということを魅せてもらえたことが、とてもステキだなぁ、と。

 

インドネシアの方にとっての「弟」という言葉の意味合いは、たぶん日本人のそれとは微妙に重さが違う。 韓国の方の感情の塊やこぼれ具合、詩的空間の透明度も日本人とは違う。
だから同じ内容の台詞やシーンの、重さや散らばり具合。 まるで違ってくるの。

この作品て、こんなにこんなにコメディだったっけ?というほど笑ったのは、
日本人よりもアッケラカンとした体質のせいだろうな、と思うし。

別々の言語により成立されてる(ように見えてる)会話が、
理解や意識の交流の不確かさや嘘や孤独を、
逆に確かさや真実や信頼を、描いているように感じられてくる。
技術的には、予定調和な演技になりかねなくて、かなりむずかしいのかも。
でも言葉の意味がつながらなくても、感情のタイミングで充分、意味になるんだなと感じるときもある。

 

字幕が舞台両脇に配されていたけれど、前から3番目の席では首を振らないと読めなくて、
言葉の意味を追うと、役者さんの体温を感じ損ねることが多々あってねえ。

わたしが『屋根裏』が好きなところのひとつに、
たくさんの短いシーンのそれぞれが、すぅっと消えていく感じがとてもステキなんだが、
重ねられる意味深な言葉を字幕で追っているうちに、
空気を掬い損ねて暗転となり。 それが少しフラストレーション。
最後には、意味を捨てて。 役者さんの深淵を受けとめるほうを選ぶ。

 

完成されたモノが壊され、こぼれるものをすくい取ることを「愛でる」というのかな。
いや、わからないけど。
えっと、31日まで演ってマス。