あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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『桜散る散るもつもるも三春乃一座』を観た

2010.5.29. 19:00〜 相鉄本多劇場 / 劇団だるま座

本多劇場だと思い込み、でも何故か、下北沢の駅の改札口を出ようとしたとき、ふとチラシを見直してみる。 げっ、相鉄本多劇場@横浜じゃん。
渋谷に逆戻り(改札でなくても、運賃は往復分の支払い)しての大遅刻。

横浜は渋谷から特急で25分。 だが、道を尋ねたり、化粧室を借りたりする会話の温度とか速度とかが、東京と違うなぁと感じる。
地方都市のやわらかさ。

横浜の大空襲の話を、横浜の劇団が上演するという地方色は、わたしには異色で無縁な肌触り。
この劇団が、このホンをやりたい、大切な財産にしたいというのは、よく伝わってくる。
満員御礼。 地方の文化を大切にする。 いいな。 

 

故・井上ひさしサンの悪口を言うつもりはないが、演劇界に残した困った風習がふたつある。
遅筆の居直りと、太平洋戦争の固定された視座。 井上先生が実行なさるのは間違いじゃないんだよ。 他の劇作家たちの価値観までがそこに固定されてない?ってのが、疑問なの。

空襲の再現や典型的な特高の描き方を観ながら、これは今日の沖縄やタイに、どうつなげればいいのだろうと思う。
過去の痛みを、お約束の人情で洗い流すのが目的の芝居に、野暮な感想か。
これはこれでいいのか。
むしろ、お約束を心地よいとする観客を分析すべきかな。

と言いつつ、もうひとつ。
作家の書いた硬質に美しいはずの言葉が、都度、センチメンタルなBGMを流すことで別の次元にされてしまう無残。
これもこれでいいとすべきかは、当事者らの判断か。

 

劇中に「演劇のリアリズム」という言葉が出てくるんだけど。 
ときどき耳にするこの言葉、わたしには理解できなくて、いつも困っている。
舞台という特殊な空間を、見立てというお約束で立ち上げる以上、
役者が他者を演じる以上、
芝居にリアリズムなんてありえないと思うの。

いろいろな形式や方法という大嘘を通して立ち上がってくる、感情のリアルとか、真実の冷たさとか。 そっちなら、わかる。

役者が自分の生理を確信的に冷静に管理することでデザインするからだは、「リアル」?
それを媒体に客席に伝わってくる熱や思いは、「リアル」?
そっちのコトを言ってるわけではないの?