2010.3.18. 19:30〜 シアタートラム / 結城座
いやぁ。
さっきから、どこまで身の程知らずの発言をしていいものかと、迷い続けているのです。
世界的なシゴトをされてる方々のコラボだと、綺羅綺羅しい企画のPR。
それ以上に。
大久保鷹さんって、確か凄まじい緊張感の芝居をされる、あの役者さんだよね、とか。
そして久しぶりに、加納くん(花組芝居主催)を観よう。 なんで「くん」づけって、小学校のときの隣のクラスの王子さまだったからで。 歌舞伎なんかに夢中でなければ憧れたのになぁ(当時の価値観です!)と、ロマンティックな淡い恋をしそびれた。
そんな役者連と、あやつり人形。
どんなに緊張ある様式美が展開されるか! 超期待!
そっか。
わたしの期待がまず、大きすぎたのか?
はじめからおわりまで、いちじかんはん。
ずっと、なんじゃコレ???
そしてさいごには、なぜ、だめなのか???のぶんせき。
ま、わたしのことですから。
言葉や肉体が醗酵していないことに、まず身体が受け付けない。
んん。
では、演劇ではなく、人形劇として解釈はできないのか?と探ってみる。
あやつり人形を使う意味って、なんだ?
大げさで余計な動きの中の、おかしみとか滑稽さ、愛らしさを愛でるのか?
無機質なミニチュアに世界を集約させる、意味は?
この役者連と、あやつり人形と、人形遣いたちと。
演劇として成立していないテキストと、貧しい日本語と。
それぞれの意味を、魅力を分析し、配したら。
ああ。 もったいない。 たぶん、ちゃんと世界は立ち上がるはず。
パーツ間のコミュニュケーション不足? ってことは、制作の統制能力か?
王子さまも、わたしと一緒に50歳になったんだなぁと、少し感慨深い。
そしてやっぱり、ステキ。
(わたしの男性の好みの原点は、ここにあったのか!)
かれが最後に、客席に降りて、言葉をあちこちにちりばめながら歩くときだけが、
唯一、立ち上がった演劇空間だった。