あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『兵器のある風景』を観た

2010.3.17. 14:00〜 俳優座劇場

(ご指摘の通り、三茶から六本木は大江戸線で乗りかえ1回でした。 思い違いしてたんだってば!)

ものの流れというものがあり、
朝起きて、ふと4ヶ月ぶりに弟のブログを読んだら、イッセイ・ミヤケの2010秋冬パリコレのちょっとした手伝いをした、とある。 おやおや。 かれの専門は位相幾何学である。 
メインデザイナーさんがNHKの番組経由でポアンカレ予想に興味を持ち、プロデューサーを通じてアメリカの数学者や日本の権威に相談。 弟はスタジオのデザイナースタッフさんたちに幾何学のレクチャー、サポート(英語の専門用語の解説とか)をしたとか。
数学という学問が、直接産業に結びつくのは珍しいはずだ。 しかもパリコレ! すごいな。 自慢だ! 
数学とファッション産業。 これは(瞬間的だが)幸せなマリッジだった。

そのあと、当日券で観たこの芝居が、
科学者が情熱と倫理、国家や軍需産業に自己を引き裂かれるドラマだったから。
なんだか妙な臨場感が深い。

航空力学の技術者が開発したプログラムが、新たな兵器の誕生に繋がる。
かれにしてみれば、技術の探求の美しい結晶のはずだった。 だがその先のあるのは兵器。
この辺は原子爆弾の開発プロジェクトの攻防を思い出させる。
だが現代は、それにビジネスの権利と思惑が、深く絡みつく。

もう少し俯瞰すれば、このドラマは組織への忠誠と個人の良心、つまりサラリーマンの悲哀とかにも繋がるような気もする。 他人事ではない。

わたし個人になぞらえれば、
苦労して立ち上げて育てた工房であっても、できあがってしまえばそれは自分のものではなく、会社の持ち物でしかなかった悲憤とか。 これみよがしに自分のPCのデータ等を消して去りたいのは、心理なんだが。(わたしは踏みとどまったけれど。 わたしが全部組み上げてても、報酬を受けているので会社の財産と認識されるはず)
組織に吸い上げられた個人のアイディアの行方の、怖さ。 自分のささやかな倫理なんぞは吹き飛ぶ。

だからばりばりに働いているサラリーマンに、観てもらいたい!って強く思った。
これは兵器/戦争をテーマにしている一方で。
先進国の社会人としての生き方の美しさを、問われる。

平日のマチネだから、
あの失礼ですが、この芝居、わかりましたか? と訊きたくなるような、客層。
いかにも、俳優座のマチネ。
ただ、役者さんたちの体温にはよく反応してた。
だから、わけのわからない社会の怖さと、とりあえず幕が下りて、そのドラマからは抜け出た安堵、は楽しんだのかな、とか。 ま、それもあり、か。

最後のシーンは、持っていきかたでもっと生きる希望につなげていけたはず。
だけど演出の坂手さんは、絶望につなげてた。
どうなんだろう。 生きるうえでの嘘も、ありなんじゃないのかな?