「舞台技術公開基礎講座」というタイトルですが、内容は
『劇場等演出空間の運用および安全に関するガイドライン』に沿ったシンポジウムです。
劇場で働く人間の安全を守るためには、
特に高所・暗所において何をどう管理しなければいけないか。
責任系統はどうすべきか。
ガイドラインの内容補正の報告や、現場の情報交換。
やっぱりというか、出席者が少ない。
全国の公共劇場の代表者さんたち+その他がちらほら。
わたしの意識では、全国の劇場+劇団代表が出席して、年に一度は勉強会を展開しなきゃいけない分野だと思うんだが。
(この場合の代表というのは、現場でゴーサインを出せて親睦会でお酒を呑みたい偉い人+危機感を認識して実働する中堅という組み合わせが望ましい)
そして、ホントは舞台技術の分野だけでなく。
役者だって表現のために高所・暗所に身を置くわけだし。 すべての最終責任は基本、制作者が負うわけだし。(わたしは自分の公演ではそう認識していた)
自分は演劇人であると認識している者は全員、受講して、受講修了書を持つべきだとも思っている。
わたしは自分の公演で、責任系統の所在を徹底してなかったことを、あらためて反省。
作業効率や芸術としての表現の幅を考えると、ルールどおりにしてられるか!というのが、肌感覚として現場の声だと思う。
それでも「人の生命の値段は年々上がっていますから」という説明の仕方は、管理者的な視線も含めて、実感しなければいけないことで。
数年前にこのガイドラインを作った背景の説明で、建築や造船の作業現場でのそれに倣ったとあり。 するっとしたイヤな感じを味わう。
作業場での安全意識への危機感が、わたしみたいな者に何故刷り込まれているかといえば、25年前、劇団四季のキャッツシアターで説明されているからで。
1年にわたる仮設劇場を建てるにあたって出会った建築現場の安全のガイドラインをそのまま、技術作業の安全に応用するルールを作った、と説明された。 程度は、今に比べればお粗末だったとは思うけどね。
しかし。
いくらあの劇団が、他所とは一斉の情報交換をしないとはいえ、脱北者(最近、ネットとかではこーいうそうですね)はいるわけなのに。
いくら現状改革を嫌がる職人気質の現場とはいえ。
命にかかわるアイディアが他所で実を結ぶまで、そんなに時間がかかったという現実。
この講座の主催の姿勢は、「うちでは実際に事故がありましたから」と明言。 これは勇気のいることだ。 実際に事故があっても隠されているのが現状でしょう。 夢を売るのが商売だからねというのが言い訳か。 だがそこに、劇場で働く人たちに対するリスペクトはあるのか?
そして。
これは書くことなのか、少し迷うが。
研修中、わたしは劇場の1点に、何回か視線が流れてた。
ん、人の気配? でもいない。 ってヤツ。
何回目かに、その場をじっと見る。 何も見えない。 ごめんなさい。 わたしには見えないんですと、意識で呼びかける。 それから、なくなる。
劇場を、守ってくれている。 そう感じるのは、この研修会が行われているから?とも、感じた。