あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

エンディングの解釈

わたしの場合、アイディアとか解釈は、寝入りばなか起き抜けの枕の上によく降ってきます。
その前に「これは何故?」「あれはどうしようか」という漠然とした疑問があってのことですが。

先日読んだ小説の『レベッカ』。
何故、導入部で「超能力」という不似合いな単語を使ったか。(映画の導入部にもあり(超常現象という単語だったかな?)、舞台にはありません)
そして何故、あのようなエンディングにしたか。

映画や舞台ではハッキリと、放火犯を描いていますが、
小説では、その犯人説では少し不自然なようにボカされています。

今朝、振ってきた解釈は、

あれは自然発火。 
誰の意思って、そりゃあレベッカの。

もしかしたら作家は、そのイメージを少しだけ期待してた?

 

それ以外にも こじつけ はいろいろ出来るんだけどね。
「超能力」という単語は、後半のマキシムの「虫の知らせ」に繋がるのかもしれないし。
マンダレーを失ったあとになお焦がれるふたりの心持ちは、レベッカを失ったダンバースのトレースなのか?とか。(かなりゴーイン)
「わたし」とクラリスの会話のシーンも?とか。