この7・8月は『TDV』以外の観劇は実に不義理をし倒しているのですが(みなさん、ホントすみません)、斉藤あっちゃんのだけは観にいく。
以前から固く約束をしてたこともあるし、このコはちゃんと見届けていないとねえって不安(?)もあって。 まあ、他のみんなだって、斉藤さん相手じゃ仕方ねえなとわかってくれるだろう。 (という不思議さを、かれはもっている)
(うーん、確かにわたしには見届けてなきゃネって相手が多いな。 ……増えてるみたいだし)
夏休みの休日出勤日だけど、一応仕事内容に目標ノルマはある。 開演時間を考え、ノルマをこなすために必要な時間を逆算し、通常より1時間早く出社。 ……何やってんだ?
2009.8.9. 18・00〜 サンモールスタジオ / ミナモザ
グループで自作自演するコント・ライブに出てたあっちゃんを、この劇団の主催者さんが役者としてスカウト。
大丈夫? 騙されていない? とか、わたしはホント、あっちゃんの才能(ステキなシチュエーション・コメディ作家として、いつかデビューさせたい!)には保護者気分なの。
あっちゃんの存在感ってのはホント不思議で、
背の高い、じゃがいもサンみたいな顔の男の子なんだけど。
今回だって相手にむしゃぶりついていくだけのシーンで、その様子に、客席から思わず場違いに温かな忍び笑いが洩れてくる。
終演後に、どうでしたか? ちゃんと出来てましたか? と訊いてくるかれに、達者な役者さんに囲まれて、お稽古場ではいろいろ勉強になったでしょう?とか、わたしは自分より背の高い青年の髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。
「振り込め詐欺」をモチーフにした芝居は、役者さんたちが達者なのと作・演出さんの人間描写の確かさで、ずいぶんおもしろかった。
でもかれらの仕事が振り込め詐欺でなくてもよかったし、むしろ普通の仕事でこの異様な雰囲気に追い込まれたほうがもっと怖くなりそうです。 とてもよく書けていたのが仕事の社会的な意味というより、グループ内での人間関係だったので。
店長とよばれるキーポイントな役を華奢な青年が演じていたのだけれど、この役をマッチョなおにいさんとか、渋い中年がやると、意味が違ってくるなあと思う。 (あ、かれもよくやってました)
小さな社会の中で、支配する側の男とされる側の男たち。 周辺の2パターンの女。
ミミを落とすシーンは、飛ばさないでちゃんと向き合うべきじゃないのかなぁ。
ここまで書けていたら、人間のグロテスクから逃げちゃいけないでしょう。 (作家は女性です)
エンディングはよくわからなくて。
女たちは去り、男たちはこうして続けていく、としたかったのか?
(なんでよくわかんなかったんだろうと、分析思考中です)
作家の質として好きな系統でありそうなのに、この劇団をまた観たいと思わない自分がいる。
何故だ?と考えてる。
演劇(抽象)というより、映像的(具象)だからかな。
唯一、祈る気持ちまで掘り下げられて描写されてた女の子にだけは、どうしても自分を投影できなかったからかな。