あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『未来の手始め 新藤歌子!』を観た

金曜日。
この状況の職場で、連日の定時あがりは無理かな?と半ばあきらめていたのですが。
1案件、客先の都合で状況がユルくなり。

やったあ!

それでもひと区切りまで作業はしたので、遅刻は遅刻なんだけれど。

大通りに出て、少し迷ってから、タクシーを拾う。 チケット代よりタクシー代のほうがかかります。 こーいうのを、時間をお金で買うっていうんだろうなあ、と思う。 まあ、おかげ様で二つめのプログラムから観ることができましたから。

 

          2009.7.31. 19・00〜 森下スタジオ Bスタ /輝く未来

キムさん主催のユニット。 年度が替わってメンバーがかなり入れ替え。

前半は習作小品集。 
それぞれの狙いはおもしろいけど、無理矢理に作品としてまとめようとしている(たぶん)つまらなさと、ものたりなさと。
モチーフを作品に発展させるのって、むずかしいなと思う。
でもまあ、辛口の生意気を言えば。
たとえばわたしがモチーフをストーリーに発展させる手間暇に比べて、生煮えだし調味料も足りないし、盛り付けに時間と工夫がないし。
それを通して、何をどうしたいのかが、よくわからない。
でももし、それを目指しているのだとしたら、わたしにはダンスというそのものが、よくわからないということです。

形や動きのおもしろさや美しさを淡々と追求するのは、方法としてはいいと思います。
でもこちらのハートを動かすものは、
あくまでもその形や動きを通して伝わってくる、ダンサーもしくは振付家の、人間としての奥底なんじゃないかな、と思うのですね。
じゃあ、その人の奥底って何?と言われると、うまく説明できないんですけれど。
同じ生命体の神秘としての、共感とか共振とかそのへん……?
ん。 これじゃ、わかんないね。

後半はインプロ。
全員、しっかりした技術とからだがあって、発想に独自性と瞬発力があり、
かなりおもしろかったです。
すみずみまで気を張り詰めて、空気を読み、合わせて、裏切り、
自在な空気にわくわくしました。

インプロってたぶん、その人の奥底をさらけだすしかないんじゃないのかな。
いろんな緊張感と自分の才を楽しんで、客の視線を出し抜いてやろうと想いをめぐらし。
だから見せる側と見る側に、張り詰めた会話が生まれてたというか。

 

……とか、

えらーそーにいう前に……。

ごめんね。 そうですよね。 ホントにごめんね。 
わたし、キムさんしか見てなくて! 

だってインプロなんだもの。 客も見たいとこだけに焦点当てて見るのもありだよね?って、
作品として全体を捉えてなくてもいいんだよね!って、
つい居直ってしまったのでした。 (こうして言葉に起こすと、いかにもスジが通ってないねえ)

で、今回、よくよく自認したのですが。

わたしにとっては、
ダンスも、作品も芸術も、輝く未来も何もかもがどーでもよくて、
ただただ、踊っている伊藤キムを見ているのが大好きなんだなあ、と。

幸せなんだもん。 
踊ることを楽しんでいるキムさんを見てることが。
流れては消えていく意向とか、
キムさんの向こうに感じる人恋しさとか刹那とか。 

自分でも呆れたんだけれど、
ほかのダンサーさんのからだで隠れて、物理的にキムさんが見えなくても、
空気が動いているなあって、それだけで楽しいんだよねえ。

キムさんにとっての人前で踊るってこと自体が、
すでに、ほかの人と持つ意味が違うのかもしれない。

 

 

ついでに。
遅刻して辿り着いた受付の方の応対の感じがよくて、とてもうれしかったのでした。
なんとも当たり前のことを丁寧にしてらっしゃるだけなのですが。
アッサリとしたおもてなしと無駄のない案内と、それだけなんだけれどね。 
あらららら?ということの多い昨今(劇場だけでなく)、
公演というものの品質・印象は、こんなところでも決まるなぁ、と。