2009.4.24 メガバックスシアター /劇団s.p.a
最近のわたしのよくない傾向のひとつは、
今、これを入力するためにあらためてチケットを眺めて、夕べ観た芝居のタイトルを初めて知ることかもね。
『ラ・ヴァルス』にキリコで出てくれたトミーさんから、某劇団の研究所公演のピンチヒッターとして急遽出演が決まりました!とメールをもらって、ここ3回くらいかの女の出てる舞台をごめんなさい!とスルーしていただけに、今度こそはいくよ!と。
だから携帯とかカレンダーとかには「トミーの」と記入してて。 どんな芝居か、全然チェックなし。
あたりさわりのない、楽しい舞台。 キツク突っ込んだところで意味はない。
キャラクターがそれぞれおもしろく、バランスもほどよく、くすくすと楽しみました。
3ヶ月ぶりに観るトミーは、痩せたし、すっ呆けたぶりっこ女子高生のセーラー服だし、これがトミーだと気付くまですごく時間がかかった。
しかし手際よく、どんな役でも上手にこなすコだ。
それだけに、わたしはまだ、かの女が本領を発揮しているところを観ていないって気がしている。
かの女をすごくカッコヨク魅せる役が、きっとどこかにあるはず。
客席で会ったちょーふと一緒の帰り道、駅でスゴク奇妙な動きを繰り返したおじさんを見かける。
今日の芝居ってさ、街であーいう動きを拾ってお手本にしたりするのかな。
「観察して得たものか、頭で考え出したものかはわからないけどね」 (←何気に辛口?)
なんかさ、役者さんの存在感がコントっぽかった?
「あれはコントでしょ。 ストーリーとかテーマとかじゃなくて、キャラをいかにタタセるかを一番に持ってきてる」
そっか。
以前ね、あっちゃんの出た芝居を観て、コントを演じるときは役者さんの在り方が違うのかな?と感想を持ったのだけれど、
あとから聞いたら、役者さんではなくて芸人さんだということだった。
芝居とコントの境界を引く必要はないのだけれど、
限りなくあいまいになっているというか、
芝居(人間性)がコント(目先の笑い)に侵食されている時代なのかもしれない、と思った。
まあ、その先まで手を届かせるコントもあるンだけれどね。