2009/2/9 19・00〜 新国立劇場・小劇場
最初に言う!
15日までやってるから(ただし1日1公演)、これ読む前に全員、観てらっしゃい!
わたしは今日、もしかしたらコンテンポラリーダンスの歴史の1ページに居合わせたんじゃないかって思った。
3作品の最後、新作『狂ひそうろふ』は、ベジャールのボレロに匹敵する、かも。
(ってか、意識して創ってある)
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森山開次さんは話題の人だし、なんとなく知ってはいたけれど、今回初めてキチンと観ました。
なんかね、何故か突然、前髪を引っ張られて観なきゃって気分にさせられて劇場に向かい、
当日券を買おうとしたら、キャンセル待ちに並ばされ(本日、初日)。
変だな、わたしは今日この舞台を観る運命なんじゃないのかな?などとぼんやりと待ち、
ぎりぎりに買えたのは、テッポウ席だったのか10列めの中央ブロック通路寄り。
ごめんなさい。 やっぱり運命、でした。
第一部『OKINA』
うぉー。 かっこいいな。 こんな削ぎ落とされた演劇、いつか創りたいな。 (万が一、書けたところで誰がこんな極限な身体表現をしてくれるんだ?)
この人、無垢で獰猛でなめらかで、大自然の精霊って感じだな。
第二部『弱法師 花想観』
うぁぁ。 うぶで純で青々しくて香り高くて、観ているほうが恥ずかしいくらいに透明だぁ。
第三部『狂ひそうろふ』
……この人。
実は、おちゃめさんだわ。 客を喜ばせたいんだわ。
あら、まるでお神楽みたいね。 そうか、お神楽の持つ意味ってのは。
……あら……。 あらあら。 あらららららら。
……うぉぉぉおおおおお……。 なんなんだ、これ?
↑ ホントにこんな感じで観てたんだって。
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一番、ココロを掴まれたのは、森山開次さんはきっと、コミュニュケーション能力の高い方なんだろうなということ。
他の出演者たちとも、楽器の奏者たちとも(全部、生演奏です)、たぶんスタッフさんたちとも。 尊敬し合いながら、楽しみながら、教えあいながら、お互いのいい部分を高め合ってるという印象。
だから絡み合って、ぽんっと次の次元に飛べてしまう。
そしてちゃんとその中央にやんちゃな神としての自分がいる。
たぶん、たぶんだよ。
たとえば、ダンサーのイメージがまずあってね、それに合わせた音楽を、丹念に確認しあいながら創ったんじゃないかって気がするのね。
そして出来たものに、感動してほれ込んで、ダンサーはその感動に沿って自分のからだを目覚めさせて振りつけた、自分の意識を昇華させて、新しく生まれなおしたんじゃないかって気がしたの。
そしてその繰り返し。
熟成・醗酵のレベルが違う。 技術と情熱と知性と、自分への不信と信頼。
そうか、そういうふうに創れたらすてきね。
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そしてこの人は、昔の「日本人」の顔をしているなあと惚れ惚れする。
能を題材にとっている作品群であるわけだけど、外から見た美しい「日本」を強く意識させる。
モチーフの世界観とご自分の容貌を、うまく溶け合わせている。
どなたのプロデュースなんだか、これはスゴイ。
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で、『狂ひそうろふ』ですが、
後半、舞台の上空になんと宇宙が見えました。 無限の宇宙が絞り込まれて、ダンサーというよりシャーマン、でもトランスに見せかけてるけど本人はたぶん冷静にアートしていると思うのでやっぱりダンサー、 に流れ込み、ろ過されて客席のわたしたちに反射する。
ダンス、というよりパフォーマンス、というよりアート、とは、
全てを超越した無というエネルギーの集約なのかな、と。
もしくは、美。
人間を超えているが、人間に還ってくる、モノ。 説明できないモノ。 感覚的なモノ。 迷わないモノ。 響くモノ。 …………。