あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

音楽

夕べ、遅い帰りのタクシーの中で野中師匠に『ラ・ヴァルス』公演を終えたわたしの感想を聞いてもらう。 発見は多かったけれど、ブログに書けないことが多すぎる、とか。 今後も自分では演出しないつもりでいる理由とか。
出来なくはないと思うけどなあ。 そうか、そうだね。
野中さんの隣は温かい。 

結局、野中さんからの感想はなかった。 言葉のない感想の意味を自分で考えることにする。

      [E:chick] 。。 。。。。 。 。。  。 。。。 。 。 

発見したことを何故、ブログには書けないのかというと。

新しい発見をするには小さな否定が前提になるからで。 その否定は当事者たちの中に潜むわけだから。

書けなくてストレスにならないの? と問われれば、可哀想な演出家にひととおり受け止めてもらいましたぁ、ってことで。

      [E:chick] 。。 。。。。 。 。。  。 。。。 。 。

で、まあ、書けるエピソードなど。

公演を観た後の弟からのメールに、「ねーちゃんの好きなラヴェルドビュッシー」という一文があって苦笑した。
今回の作品全編をドビュッシーづくしにしたのは演出家のケースケくんの選択で、わたしではない。
だいたいわたしは、ほとんどクラシックを聴かないし。

まだ作品のタイトルにすら難航していた、夏。
テキストも現在の十稿くらい以前。
戯曲セミナー出身の参加者たちは、それぞれにこだわりが煩くわたしが提出するタイトル候補に全然OKをもらえなかった。
演出のケースケくんはこのまま悩み続けろと言うけれど、わたしはタイトルが決まらないと次の段階に書き進められそうになかった。
ぐるぐるするジレンマの日々。

当時わたしは「森」という言葉にこだわっていたのだけれど、どうやらイメージが他の人たちとは違いすぎるようなのだった。
ある日。
ケースケくんと温野菜と鶏肉かなんかを食べながら、「森」から離れたら?とか言われながらも、え゛ーーっ? でもねえ…… とかゴネてて。

音大出身のケースケくんが「森」ってドイツ辺りだとこんな意味を持ったりするよね、と話してくれたのが、あ、それ、近い。 
芝居の導入でシューマンの『森の情景』を使うイメージはあるよと言われたが、これはわたしの知らない曲名。 わかった、あとで聴いてみる。
(なんかもっと専門用語であげんさんの作品のイメージではとか説明されたのだけれど、書き間違えるとナンなので、略)

『森の情景』をサイトで検索して試聴して、驚く。
この曲(ちなみに小品集です)、知ってる。 
というか、20年くらい昔、わたしのささやかな嗜好を知っている弟が、ねーちゃん好きなんじゃないか?と貸してくれた曲だった。
好きな曲と退屈な曲があったよと感想を言ったことも思い出す。
(後日、この話を弟にしたが、ありそうだけど覚えてないと言われた)

なんで嗜好の周辺が解ったんだろう? ? ?

とCDを買いにいく。
(アナログな世代なので、CDという「板」を買わないと落ち着かないの)
正統派アシュケナージと抒情派らしきピアニストのとを手にし。
シューマンのSの棚の横、Rを見てラヴェルピアノ曲のCDも1枚くらい買おうかな、と思う。
そういえば、手元に1枚もない。
(昔はそれこそ、弟の部屋に行けばことが足りたので)

……ラヴェル……

まあ、それでタイトルは『ラ・ヴァルス』で行きますと、押し切るコトになるんですが。 

 

作品中、キーポイントになる曲がある。
わたしは最初、ブライトマンとボッチェリの『Time to Say Good-bye』を指定していた。
日本語訳と英語源詞の持つ意味が全然違うことを使って、登場しない雪子の気持ちを描こうという趣向。  
だがこれもケースケくんからNGを喰らってた。 なんでこんな、結婚式の定番曲を?って言われても、最近とんと結婚式に縁がないわたしは反論できない。

じゃあさ、自分が大好きな曲を指定しよ。 この噛み砕くのが難しい曲を演出家がどう調理するか、見せてもらおうかな。
ラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』。
これはピアノ曲とオーケストラバージョンがあるので、使い分けるのがポイント。
テキストを書き換えたけれど、そのあと何もいってこない。
どきどきどき、ホントにこれでいけるのかな? ? ?

『高雅で感傷的なワルツ』の破調に戸惑ったのは役者のほうで。
ある日の稽古場で、この曲にあわせてワルツを踊ったのかなと訊くから、時代背景を含めた我流の解説を吹聴し、
振り向いたら、しまった、こっちを見ている演出家(音大院卒)がいた。

  [E:coldsweats01] あれ?

ふーん、そこまでわかってるんなら、曲を差し替えても文句ないよね。

  [E:gawk] え? ……あぅ………… 

(とりあえず我流の解説は間違いではないらしい?)
その後、でもね、わたしの雪子のイメージは『高雅で感傷的なワルツ』なんだから!と言っても、最初は『Time to Say Good-bye』を指定してたくせに今さら何をと、相手にしてもらえない。 おぉーい。

で、何にするの? ずっと保留のまま、過ぎる。

 

ご覧になった方はわかると思うけれど、最後のほうでオルゴールがちょっとだけ使われる。
あれの曲、そろそろ決めてもらわないと、と急かして。 10曲ほどの候補の中でヤツが指定してきたのは、わたしがオルゴール用のアレンジが気に食わないと注釈したにもかかわらず、ドビュッシーの『月の光』。

ふーん。 そうなんだ。 あ、その流れでツクる気か……?

本人がいうには、いろいろと裏づけがあるようだけれど、まあそんなこんなで、ドビュッシーづくしに。
(で。 あ、タイトルなのにワルツがない!ということで、カーテンコールにジブリのワルツを選んだようです。 今さらですが、『ラ・ヴァルス』とはザ・ワルツの仏語)

稽古場で役者の動きに初めて『アラベスク』をあてて、行けそうだよねと満足げなケースケくんの肩に、わたしは笑い伏した。 若いってロマンティックでいいねえ。
あまりにハマりすぎてて、わたしは受け入れるしかなかった。

最終的にクライマックスの舞台の上で流れるときには、役者の動きや台詞にあわせて緩急や音量の繊細な調節がされ、
わたしの眼にはケースケくんの指が指揮しているのが見えた。
照明や空間、すべてが溶け合い、ひとつの儚い「絵」になっていく。
それはすぐに霧散して、二度と元にはもどらない。  

 

調子に乗ったヤツは、打ち上げのときだったか、オレは最初からドビュッシーをイメージしてたんだとか言い出した。
はあ? シューマンって言ってたのは、どこの誰?
あれは昔の段階でのことだよ。

呆れた周囲はだれもわたしたちの会話に加わらず、一歩引かれたのが見えました。