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あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「黒猫」を観た

                     2008/12/3 新国立劇場・小劇場

野田さんとかとコラボされてる映像作家の初演劇演出作品!という触れ込みの舞台です。

原作には一応、ポーの名が上げられていますが、黒猫のイメージに脅迫されるというモチーフ以外はまったくの別物になっています。

舞台(演劇)で映像を使用することは評価に値するか否かというテーマは、未だ未消化なように思います。
何故評価されないの?というと、映像とは「過去の再現」であって客席との空間の同時性や共有度が低いことが理由であると思われます。
某シアター関係者に映像は照明に分類されるのか、それとも独立した映像という分野なのか?と尋ねたときも、答えを得るにはもう少し時間がかかるだろうとのことでした。 分野としてテストパターンから抜けていないというのです。

わたし自身も、あまり評価しない側の視点です。 
過去、興味をそそる空間体験(映像という『虚』とそこの存在する肉体という『実』の対比と調和)もありましたが。
舞台の本筋ではないなあという印象が強かったのです。
あくまでも方法論、キワモノな技術のひとつに過ぎない。

でもね。
所詮、理屈は理屈で。

この舞台を観ていて、ここまでアートとして作りこんであれば、舞台に映像もありかなあと納得させられました。
見せ方もうまくて。 くらりと異空間に引きずりこまれるマチエール(質感・素材感)が、テーマパークのようなわくわく感を引き出してくれるのです。
ただ問題はその中で、役者がどう『人間の奥底』を表現できるかということで。
ここではそれが少し散漫だったのが、惜しかった、かな。

 

肉体さえあれば演劇は成立するという考えは間違いではないけれど、ひとく狭義であると感じる今日この頃。
照明家に支払うギャラが痛い(けど、これはもう仕方ない)とわたしがコボすと、まさかあなたまでがそう言いますか?というような方までが、あっさりと照明なんかなくたっていいだろうと言うのです。
装置にかけるお金を照明さんに廻してもと思うわたしは、言葉を失います。

演劇に何を求めるか、によっても変わるのかもしれないですね。