あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「エリザベート」を観た

(このために夕べ、溜まっていた観劇メモを一気に4件、寝る時間と書く時間を削って書いたわけだぁ)

                          2008/11/4 18・30〜 帝国劇場

   [E:heart02]     [E:heart01] 
      [E:heart01]
     [E:heart04] [E:lovely] [E:heart04]  
        [E:loveletter]

 

はははは。 

  

キャストが一新したせいなのか、過去と別のドラマを観ているようでした。
同じことをしているはずなのに、
ひとりひとりのドラマがぐいぐいと胸に突き刺さってくる!

いよいよ野心的な演出と、(ダンサーの技術が到達してなかったりもしてますが)
かなり野心的に書いたと思われる作曲家の超技巧が、
絡み合って熱を帯びている。
がっつりした肉料理、しかも濃厚なソースの。

それに負けず、人間たちが夢のようにそこに生きている。

あ。 ……亡霊たち???

 

トート = 「死」 ではなく、なんとなく 「孤独」 をイメージして観ていた。
いえ、「死」でもいいんですけれど、
他の人たちが、「孤独」という言葉をわたしと同じ重さで捉えるとは思えないし。

孤独ときっちり向き合ったとき、受け止めたとき、見えてくるものがある。
と、最近の自分がすごく実感してるせいもあるのでしょう。
だから「孤独」

エリザは、
理想と現実のギャップに翻弄されて、虚無的な生き方を選んでしまった。 
ほんとはもっと違う人生を生きたかったのに、
でも周囲に理解者はいないから。
理解者としての2次人格として、鏡の中の「孤独」と寄り添っていたのかもしれない、と。

今日の観始めはね。
小さい頃1度死に損なったことで、絶えず「死」と寄り添い、意識している人生だったのかもね、と思った。 他の人には見えない人生の解釈が生き方を揺らしていたのかも、と。
次に、
「死」と対話することで、絶望の向こうにある自分の希望と向き合っていたのかもしれない、と思った。 かの女は最後まで、自分の人生を見捨てたくなかった。 あきらめたけれど、忘れたくはなかった。 遠い輝きを眺め続けた。

で、まあ。
死 ではなくて、 鏡? というより孤独? と、意識が流れたのですね。

そっか、孤高と説明すればわかりやすいのか?

 

と、意識を飛翔させてくれた、今日のエリザとトートだったのでした。
だから、恋というよりは半身との出会い。

 

        [E:cat]

 

それから。

カリオをやってる頃からなんとなくそーなんだろうなあと思いつつ。
祐一郎さん。 自分なりの解釈でキムさんに対抗心燃やして、動いてやしませんか?
そういう負けず嫌いというより、マイペースなところが、[E:fuji]