友人たちが遊びに来るので、家で料理をしている。
わかってはいるけれど、買ってきたまるまる1羽の鶏を洗うとき、チョットどきどきする。
内臓が詰まったままだったら、わたしは掻き出して処理できるんだろうか。
小ぶりな鶏。 数日前までは生きていた。
誰かが首を落とし、血と内臓を抜いてくれて、わたしはようやく触れるにすぎない。
米やらを詰めながら、人間はつくづく業が深いなと思う。
手を合わせるような気持ちで、滋養をみんなでいただきますからと思う。
命と向き合う、ひとつの形だ。
命を捌いたことにない人間に、命について語れるだろうか。