そういえば先月、49歳になりました。
49歳といえば、わたしの中では織田信長以外は考えられません。
こうして自分がその歳になってみると、かれはもっと死ぬほどやんちゃをしていたかったのかも?と思います。
死んでしまって、続きはできませんでしたけれどね。
敵将の頭蓋骨を盃にして酒を飲んだことも、
山の大石を据えさせて神殿にしてしまったことも、
かれにとっては駄洒落にすぎないのでは?という気がするのです。
(今とは死生観も人権に対する考え方も違うはずです)
わたしは数年前から「老い」や「死にゆく自分」というものを意識しだして、
そうすると、さっぱりと開放されていく自分とも出会えるもので。
他人なんかはもう気にせずに、
好きなことをやりたいようにしていないとなあ、と。
わたしの中の信長は、
魔王とも
最先端の経済人とも
名アートディレクターとも その他
それはさまざまなイメージが交錯するのですが、
骨格から想像されるに甲高いしゃべり方をしていたと思われる
と分析されたのを知ってからは
キカンキの強いオトナコドモ。
そんなイメージが定着しました。
この先、自分が信長よりも年上になっていくのかと思うと、
少し感慨深いものがあります。