あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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「ネズミ狩り」を観た

自分がはじめて公演を企画して、そうすると、アタリマエだけれど
他の人の舞台についてエラソーな感想などが書きづらくなってしまいました。

なんで、あれやこれやがちゃんとできているんだろう。 すげぇなぁ。 と思うことばかりで。
いや、ね。 
幕を開けるって、それだけでもうすごいすごいコト!なんだと怖くなる日々なので。

 

でも、

じゃあ、書かなければいいのかというと、
そういうことでもない……と思う。 

 

               2008/9/13 19・00〜 王子小劇場 /チャリT企画

主催者はお会いすると柔和な方で、(戯曲セミナーの世話人さんです)
ブログを読むとかなり過激な社会派のようで、
友人からかれの大学時代の勇姿の噂などをうかがうと、

わたし、たぶんこの公演に、すごく期待して行き過ぎたんだと思います。

自分も少年犯罪者の出所後について書いたことがあり、
(05年に近松の1次を通った「家庭菜園」という作品です)
だからどれだけ、それ以上の答えを作・演の楢原サンに魅せてもらえるかと。

舞台は、非の打ち所のないすばらしいものでした。
テキストも、役者さんの間合いから生まれる切実さも、いろんな全部が
緊張感のある、娯楽性にあふれた、高度なレベルで。

一番すごいなと思うのは、自分が近所のおばさんにでもなったつもりで、
舞台空間の中で一緒に息づいてしまいながら観ていたということです。
登場人物が、自然に尊厳をもって描かれていて、みんないとおしい。

あのね、
劇団や作品を「社会性をスルドク追求している」みたいにアピールしていなければ、
わたしもひっかからないのだと思うんです。

終演直後にぎやかに、関係者とお客さんが大勢談笑しているのを眺めながら、
作品のテーマについては全然話題にならないんだな、とひっかかる。
どんなに重いテーマでも、気持ちよく軽やかに劇場を後にしてほしいというのも
ありだろうけどな、とは思う。
今の風潮の中、大切かもしれない。
ただ、わたしの中に上質な演劇を観た満足感や、人間へのいとおしさは残っているけれど、社会的なテーマとしての問いかけは残っていない。

テキストは演劇として完璧にまとめられている。
ただ、
このテーマについて語り合っていると必ず突き当たる壁の部分が欠損している。
問題は、それだけ。

具体的に「サカキバラ」という単語を使用しているのに、
かれをスキャンダラスな健常者として捉えている。
だってこの単語を使ったら、すでに少年犯罪の象徴ではなく、一個人の特定でしょう?
発達障害者としての人格、かれという人間の中での事件発生への流れ・意味、事件の持つ社会的な意味、かれの社会復帰に向けたカリキュラムの結果の判断基準とその責任の所在。
そんなこんなを踏まえたうえで、一般市民がどうやってかれを隣人として受け入れられるのか、
できるのか???
もう無理だと決め付けて、隔離すべきか? それでいいのか? など。

わたしはそれについての楢原サンの主張を、聞きたかったんだと思う。

もちろん健常者としたうえでの
世間の事件への無責任な反応とかは、かっきりと描かれていました。

 

帰り道に思ったのは、
わたしにとってのテーマは、責任の自覚への問いかけだけれど、
楢原サンにとっては街社会そのものなのかなあ、とか。

「サカキバラ」ではなく「少年A」(いや、すでに←これも「サカキバラ」を特定する単語として使用されてはいるんだけれど)とボカしていたら、わたしの中では未消化にならなかったのかなあ、とか。

 

これは某大先生に言われたのだけれど
「現代」と対峙するのは
膨大な勇気が必要であり、(価値の結論が出ていないので)
自分がすごくキズつくことだと。

ほんとに、ねえ。

  

そして
自分の進行中のテキストを振り返り、
ぐぁぁぁぁぁっ。 

……………………。

作業に戻ろうっと。