あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

聞き書き の先にあったモノ

数学者のおとーとが自分のブログに、学問とは夢の中で真理の女神に愛を囁くことだ……とかナントカ書いていた。
くそぉ、幸せだな、おとーとは。 
至上至福の献身か?
あんたのねーちゃんは、劇作とは追求とひきかえに魂を売り渡すことなのか?と心を焼いてるってのに。

 

地域のWSの参加者には、クセモノなオジ様方が何人もいらっしゃるのだが。 
その中のおひとりに興味を持つ。 えーと、抹茶サンと呼びますか。

かれは何故に、こんな人なの?
とにかく多趣味な会社員。 社会活動とかボランティアにも熱心。 奥さまののろけも充分。
でもなんていうのか、
ボヤキというかイジケというか、
スタンスが猫背。
自信があるのかないのか、自己主張があるのかないのか、自己表現したいのかしたくないのか、
わからない。

(ちなみに最近、このブログを読んでくださっています)

(まあつまり、これはわたしの公開懺悔なのか?)

WSの作業として、これから月末までグループごとに作品を創るのですが。
聞き書きの面白さに味をしめたわたしは、取材先/ネタ のひとつとして、抹茶サンを候補にあげてしまった。
ちょっと聞いたら過去にパワハラパワーハラスメント)の体験があるらしい。
はぁーい! わたしはかれも穿り返してみたいですぅって。
いとも気軽に。 そう、気軽に。

その直後、
沫茶サンから、グループの一斉メールでレポートが出されました……。
いや、取材態勢の会話で聞き出したかったのだから、書き言葉で先手を打たれてもチョット、とか生意気にも思いながら、読む。

……うぁっ……。

うああああああ。 どうしよう!

文字で語られた現実は、ヘビーでした。 男がひとり、生き残ってきた重さ。 
共に歩んできた家族の重さ。

つまり、

触れてはイケナイことをわたしは掘り出そうとしてる?
今では静かに封じられた過去の蓋を、取材という形でわたしはこじ開けようとしている?

それはかれ自身に対してもご家族に対しても、人間としてスゴク失礼なことではないのか。
許される行為なのか?

 

まず考えたことのひとつは、
世の中にTVや印刷物などで溢れているインタビューとかドキュメンタリーとか。
自分はおもしろがったり感動したりしていたけれど。
その裏には、実は人非人な暴きたてが存在していたってことでした。

日本人的な感性なのでしょう。 
せっかく落ち着いている出来事を、未来に向かって、今さら揺り動かす必要なんて、ない。
全然ない。
興味本位に情報の共有を要請するなんて、人間の品性に欠く。

 

どうしよう。 今さらだけど、遠慮すべきか?

 

でもね。

言い訳にしか聞こえないことは承知で言うけれどね。

抹茶サンは、わたしが「候補」としているにも関わらず、「要請されたから」という受け取り方でレポートを出してきたのです。
……これを、都合よく解釈するとね。
すごく自分勝手に解釈するとね。
抹茶サンは語りたいンじゃないのかな? 
強制されたから仕方ないというスタンスの中で。

メル・アドの交換をした直後から。
沫茶サンからはそれは、コマメな連絡をいただきまして。 怖いくらいの量を。 一斉メール、個人メールともに。
ホラ、この人は何かを言いたがってる。 何を言いたいのかは、おそらくご自分でもわかっていない。 (だから内容は、なんでこんな情報を?ってことが多い) でも、確実に何かを、汲み取ってもらいたがっている。 または交流を通して、何かを得たい、何かを変えたがっていらっしゃる。
そう、思うのです。

 

書くとしてもね、
少し嘘を入れたほうがいいんじゃない?
と他のメンバーからも提案されました。

……どうなんだろう。

 

ただ、
いくつかの聞き書きを経て、すごく実感しているのは
「ホンモノの強さ」なのです。
朴訥と不器用でも、つくりごとには絶対にない、言葉の強さ。
それが確実の人の心を動かす。

過去、いろんな形で嘘の話を作り続けてきた自分にはかなりショックでした。
特に最新に書いたモノは、現実の事件からイメージを横滑りさせているので、自分の姿勢の甘さをじくじくと実感。 まじ、堪える。
でも、今後は違うゾ。 
当然、作り話は続けるけれど、チョット違うものが書ける気がする。 

話が逸れました。

 

だからね、
暴露はしない。 名まえも出さないし、矢印はボカすけれど、
嘘はつきたくない。
どんなに拙くても、そのままストンと表現するだけで、伝わることを大切にしたい。

そして

受け止める。 全身で。 それがわたしの責任。

  

と、
沫茶サンの聞き書きを原稿にする前に、こうしてわたしが書いている、覚悟についての内容さえも。
はい。
作劇のモチーフとして提出すると思います。
途中で、(まあつまり、これはわたしの公開懺悔なのか?)ナンテ書きながら、
実はこれも原稿にすることを前提に、書いています……。

もの書きはつくづく業が深いな。