あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

マイナーコード

お風呂に入っていたら、
頭の中がパズルのようにしょうもない分析を始めてしまった。
考えている、というよりは言葉か何かが滔滔と落ちていく感じ。

以下、そのメモ。

糸口は「ヒルコ」からだ。
都合の悪いものは文字通り水に流してなかったことにしてしまう、日本人の本質。
観ざる聞かざる、言わざる。という自意識さえ、なかったことにしてしまえるよね。
すごいことに。

キリスト教文化では、原罪・懺悔という基盤があることで、罪をなかったことにする前にとりあえず、罪と向かい合い自分で言葉にするというアクションが入る。
だから日本ではキリスト教が普及しなかったのかな、とか。
あやふやなまま、水に流すほうが楽だもの。

神道よりもキリスト教よりも今の日本人に根付いている仏教は?
(風呂の中での思いつきなので、以下、ブッディストの方、怒らないでください〜!)
慈悲というスタンスは、他人よりも優位な自分を楽しめないか?
日本人はそこを気に入っていないか?
それにくらべるとキリスト教は自虐的だし、神道は平板だ。

意識、無意識の中で
他人よりも優位な自分。を求めてこなかったか? 今の日本人。
だが、
さまざまな価値観、あふれる贅沢や才能に関する情報。 
その中でなかなか思い通りにならない現実、そこそこに過ぎない自分という現実との対面。 
現社会で優位を味わうことはなかなか困難だよね。

じゃ、流行のいやしとやらは何?
……逃避、か。

わが身を棚に上げ、正論を振りかざして罵倒に奔りたがる世論は? 

 

…………。

 

ここまで来て、自分の頭の中に嫌気がさして中断。
ときどきわたしは、こんなふうになります。
若い頃はこのまま厭世モードに入ったり、自己嫌悪に陥ったりして
鬱々と数日を過ごすことになるわけですが、
年取ってよかったことは、あくびひとつで切り替えられるようになったこと。

といいつつ、
こうして日記に書いてみるわけだけれどね。