お風呂に入っていたら、
頭の中がパズルのようにしょうもない分析を始めてしまった。
考えている、というよりは言葉か何かが滔滔と落ちていく感じ。
以下、そのメモ。
糸口は「ヒルコ」からだ。
都合の悪いものは文字通り水に流してなかったことにしてしまう、日本人の本質。
観ざる聞かざる、言わざる。という自意識さえ、なかったことにしてしまえるよね。
すごいことに。
キリスト教文化では、原罪・懺悔という基盤があることで、罪をなかったことにする前にとりあえず、罪と向かい合い自分で言葉にするというアクションが入る。
だから日本ではキリスト教が普及しなかったのかな、とか。
あやふやなまま、水に流すほうが楽だもの。
神道よりもキリスト教よりも今の日本人に根付いている仏教は?
(風呂の中での思いつきなので、以下、ブッディストの方、怒らないでください〜!)
慈悲というスタンスは、他人よりも優位な自分を楽しめないか?
日本人はそこを気に入っていないか?
それにくらべるとキリスト教は自虐的だし、神道は平板だ。
意識、無意識の中で
他人よりも優位な自分。を求めてこなかったか? 今の日本人。
だが、
さまざまな価値観、あふれる贅沢や才能に関する情報。
その中でなかなか思い通りにならない現実、そこそこに過ぎない自分という現実との対面。
現社会で優位を味わうことはなかなか困難だよね。
じゃ、流行のいやしとやらは何?
……逃避、か。
わが身を棚に上げ、正論を振りかざして罵倒に奔りたがる世論は?
…………。
ここまで来て、自分の頭の中に嫌気がさして中断。
ときどきわたしは、こんなふうになります。
若い頃はこのまま厭世モードに入ったり、自己嫌悪に陥ったりして
鬱々と数日を過ごすことになるわけですが、
年取ってよかったことは、あくびひとつで切り替えられるようになったこと。
といいつつ、
こうして日記に書いてみるわけだけれどね。