青剣クンへ
先日はメールをありがとう。 わたしはあれから、あなたの問いかけにどう答えようかと考えています。
「残念ながら、はっきりとした答えはありません。 その答えを探し続けるために、死ぬまで表現し続けるのではないですか?」 とか。
「そうするのが好きだから」 とか。
「創らずにはいられないから」 とか。
でもどれも、少しずつ違和感があります。 だからわたしは考え続けています。
……それとも、もしかしたらあなたは、
何か、一言だけの答えが欲しかったのかな?
とりあえず今、安心するために。 自分の選択に、自信を持つために。
だとしたら甘いです。
価値観は自分の中で、絶えず変わっていくものだとわたしは思います。 答えは、考え続ける自分の中にみつけていくしかありません。
「人は何故、何のために踊るのか」
あなたはダンサーなので、まず表現する=踊るという角度から分解してみましょう。
わたし自身はダンスの経験がないので捉え方が少しズレるかもしれませんが、たぶん本質は通じるのではないのかと思います。 (だってあの時、わたしがダンスを絵に置き換えて話したことが、おもしろかったわけでしょう?)
人のからだを大雑把に理解すると、
骨格があって、筋肉がそれを動かし、皮膚がそれらを覆い隠し、場合によっては服などがその上を覆う。
生きている肉体には、それに時間の連続(緩急)が加わる。
骨格や皮膚よりも筋肉の方が、表現には密接なのでしょうね。 だとしても、筋肉の動く距離なんて、たかがしれている。 それをどう使っていくか。
そして、筋肉を支配するのは何か。
人のからだには、精神とか魂とか呼ばれるものが宿っています。 人の気持ちや考えが、筋肉に信号を送る。 (たぶん)
そして全身の筋肉による動きの組み合わせが、形という表現になる。 (たぶん)
では、筋肉を支配する意識はどんな構造で成り立っているか。
目で見えるものではありませんので、これは自分で考えるか、専門書を読んで参考にしてみるしかないでしょう。
そして演劇ではよく言われることですが。
「演劇(パフォーマンス)が成立する三要素」とは、役者(パフォーマー)・観客・舞台(場所)だそうです。
つまり 他者と、他者と関係するための空間 がなければ、身体表現はなりたたない。
これらが「踊る」という物理的なシステムの基盤になるのかな?
(えーと。 これを読む、プロのダンサーさん♡ 細かいことをつっこまないように!)
さて。
この肉体や意識のシステムから生まれる動きの、どこから先がダンスで、どこからがダンスではない のでしょう。
人によって境目の判断がかなり違うということは、この間の皆さんのトークでも感じませんでしたか?
だとしたら境目は、それぞれが自分で決定するしかないですね。
どこまでの空間を自分は舞台だとするか。 何故?
どこまで他者を意識するか。 何故?
この動きはダンスである。 ダンスではない。 何故?
自分にとって他者(観客)は何であるのか。 何故?
自分にとって自分は何であるのか。 何故?
何故、この動きがおもしろいのだろう。
何故、この組み合わせは……。
そしてここで大切なのは、
どこを境目にしたか、
何故そこを選んだのか、自分ではっきりと認識することです。
ここで出てきた「何故」の判断は具体的で、考えやすいものではありませんか?
そしてこの「何故」の答えのごく近くに、
あなたにとっての、「人は何故、何のために踊るのか」の答えもありそうな気がします。
少しはヒントになりましたか?
え? わたし?
わたしは何故、芝居をつくりたいのか?
「わかりません」
そしてわたしは、わからないことを存分に楽しもうと思っています。