あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

生マレル! 

この一週間ほど、ある言葉にずっと違和感を感じ始めていた。
芝居を、戯曲を「書く」という言葉。 本当に「書く」ものなのかね、あれは?

実際の作業がPCのキーボードを叩く動作だということは、この際関係ない。
(ただね、最近いくちゃんはわざわざ原稿用紙に書くという作業に変えてみて、そしたら台詞のニュアンスが変わった!と言っていたから、関係なくはないんだろうけれどね)

会社で手作業をしながら、自分の中でいろいろと言葉のニュアンスを探ってみる。
「劇作」って言葉には抵抗ないなあ。

 

「死体に爆弾」の公演で、外部参加してくれたエッジくん(死体役)というパントマイマーがいて。 
かれはね、稽古の合間とか、ずっと自分のからだで表現のバリエーションを遊ぶんだよね。 からだだけだったり、そばにある小物を使ったりして、気付くとひとりで「何か」をしている。
(しかも死体役として遊ばれると、美しくてぎょっとさせられることが多かった……)
なんかね、そのスタンス、わたしもそのスタンス、取り戻したいなぁとか感じて。

たった1回の公演。 薄明るい狭い袖(劇場は半分テントなんだもの)で、ずっとぶみさんとふたりきりで待機していた。 あ、かれは役者でわたしは場転要員なんですが。
本番直前の軽い緊張の中、小声で切れ切れにいろいろな話をしながら。
そのとき、お互いのほんの一部が溶け出して交じり合ったような、妙な感覚があった。
前から、ぶみさんとは一緒に何かつくってみたいかなぁという気持ちはあったのだけれど、
そうなんだよ。
「つくる」なんだよね。 たぶん、芝居って。

 

そして会社で手を動かしながら、気持ちだけ浮遊させて。
自分の中でみつけた言葉は「生まれる」……だった。
戯曲はね、書くんじゃない。 生まれるものだ。
そう思ったら、こみ上げてくる感情があり、そしてもうひとつ。
わたしに必要なのは役者じゃなく、「表現者」だとか思って。

そのあとはずっと、パフォーマンスという言葉を舌の上で転がしていた。