どうぞと言われてフロアに入ると、
キムさんは端に寄せられたグランドピアノと壁の隙間に座って、いかにも指の動くままにという様子で、鍵盤を叩いていた。
ちらと顔をあげて挨拶はしてくれたけれど、音は止まず。
わたしが近くに立ち止まると、一度だけ顔は上げたけれど。 無表情な眼。
キムさんのニュートラル、瞳がクールな鎧を着こんでいることを最近知った。
今さらわたしには(全部とはいわないけれど)お見通しなんだけどなあと思いながら、
じぃっと視線をはずさないで待ったら、
ぽんっと笑った。
「いや、別に、弾いてみてるだけ」
いや、別に、なんとなく……みたいなことを、かれはよく言う。
自分の創ったダンスについて問われたときに、とか。
それはホントにそうなんだろうなというときもあれば、
あら、ちょっと照れて質問を逸らしたわね、と感じられるときもある。
最後の講義が終わって、
少し立ち話などなどをして、ドアに向かいながら、
さっき、何故ピアノを弾いて迎えてくれたのかと訊いてみる。
「いや、別に、迎えるために弾いてたわけじゃないし」
ううん、しっかり迎えられましたから。
というと、ちょっと笑ってた。
ほらね、
とか、思う。 キムさん、自分の中で声が外に出たいと、揺らめくように行き場を求めてるんじゃない?
言っても、きっと否定するから、言わないけれど。
ねえ、それは以前みたいに熱い奔流ではないのだろうけれど。
今はまだ、ぽんぽんとピアノをいじれば済んでしまうものなのかもしれないけれど。
あなたの中の声が、黙っているはずはないと思うんだけれどなあ。
ある人がいうには、
かの女のご友人はずっとコンテンポラリーダンスの研究を熱心に重ねていらしたのだけれど、キムさんの「禁色」という作品を観た時点で、すっぱりと足を洗ってしまったんだそうだ。
他の人の舞台も、一切、観るのをやめてしまったんだって。
観るべきものを観てしまったから。
この分野ではもう、これ以上のものとは出会えないという絶対的な予感に支配されて。
そんな話を聞かされると、
ではその「禁色」を創って踊ったキムさんが、もう作品を創ることに興味がないとか、やめた!とか宣言しても、仕方がないのかなぁと納得しそうにもなる、のだ、けれど。
♪ 創作を忘れたキムさんは、裏のお山を散歩中〜♪
わたしは小声でつぶやきながら、待つ。
待ってるしか、ないものね。 いつか水は、湧いて溜まって揺れて、あふれてくる。
年末に、キムさんが他所で似た企画をまたやるというので、
他の受講生とも再会を約束して、講義終了。