あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「レ・ミゼラブル」を観た 3

                            2007/8/15 13・00〜 帝国劇場

前回のコメントでは、役者は無間地獄だ とか書いたけれど、
今日は、極上の天国!を魅せてもらったのでした。 うん、観る方も演る方も、天国。
細やかに積み重ねられる演技に、うねる感情と感情の対立。
いい舞台が織りあがっていたと思う。 空間の追体験をさせてもらえた。
ああ、ミュージカルっていいなあ。

タイトルには「3」と振ってあるけれど、このシーズンを観るのは5回目。 最初の2回はコメントを控えちゃう出来だった(!)ことを思うと、舞台公演はおもしろいというのか、ズルイというのか。 笑笑っ。

オーケストラ、この間より楽しんでいた? (指揮者が違ってたと思う)
楽器の妙がもっと押し出してきてもいい気がするけれど、どうなのかな。 バランスという意味では、こんな感じなのかな。
にしても、
役者が音を正確に歌えばそこそこに聴こえてしまうのは、つくづく楽器の組み合わせのすごさです。 意識の折れる位置で曲調が変わるの。 新しい意識に合った楽器の音が入ってくる。

年代の違う役者たちが、
それぞれの人生の重さを投影していて、それが不思議な深みを味合わせてくれた。
未成熟な一生懸命と、
それを微笑んで見守りながらの静かで確かな主張と。
鹿賀さんだかがおっしゃってた世代の差が舞台に厚みを与えているって、こういうコトなのね。

最後のバルが召されるシーンはねえ、
人間が歳を重ねるという意味をずいぶん共感できると思う。 
客を泣かせることを目的とするようなベタな感動ではなくて、
透明で、闇の中に光が灯っている静かさを感じさせるといえばいいのか。

新人さんたちも、舞台で存在することに慣れてきたかな。
絶望しても生きていかなければいけない辛さや、失われるものを惜しむやりきれない哀しみや、他人を踏みつけても生き抜こう、這い上がろうとするしたたかさ、倒れて消えていくどうしようもない弱さなんかを、
つまりそれが「レ・ミゼラブル」な人たちなんだと思うのだけれど、
強さや、前向きな意思や、周囲との助け合い(仲良し)に置き換えてしまうのが、今回のレ・ミの特徴。
いや、気に入りませんけれど、受け入れますから。 

きゃはん♡ そしてなんと、今日のジャベが実にかっこいい「漢(オトコ)」でした。
心揺れる自分を怖れながらも信じるべき行動を選択し、でも迷い、破綻していくのがセクシー。
(今日のわたしの席からだと、バリケードの向こうで待機しているときのカッコイイブーツが、ウォーミングアップに踊っているのが丸見えだったのも、ぷふふふ、ご愛嬌)

 

わたしの書く戯曲はときどき、役者の感情の変化が細かくて難しすぎる(役者によっては、だから面白い)と言われるのですが、
ミュージカルで育ったせいなんだなあと、思う。
たとえば祐くんは、ワンフレーズの曲の中で、
陰ながら事実に気付いて、傷つき、受け入れ、ふたりに声をかけて祝福する という描写をしてるのです。
これは、メロディの助けがあるから自然になるのかなあ。
……ほら、出来るんじゃんと、思うわけですが。 ミュージカルに馴染みのない演劇人には未知の描写なんだろうなあ。

 

うふふふふふ。
わたしがなんのかのと言っても、結局それはどーでもよくて、

いい舞台は幸せだね♡