あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「御母堂伝説」を観た

                  2007/8/7 19・30〜 神楽坂iwato  / La Compagnie An   

多分野のダンス、演技、台詞、マイム、多分野の歌唱、打楽器、日本語、英語、仏語、韓国語、(もしかしたら手話?)などの、
雑多なワークショップの出来のいい結果を寄せ集めて……、

紅色万華鏡に産み落とした作品とでもいいますか。

いくつかのストーリーが重なっているようで、効果がないような。
こちらの感情を、何も掻き立ててもらえないような。

表現意欲は買うし。 シーンによっては、とってもとっても魅力的だったし。
そして女性全員の、手の、指の表現の美しいこと!

狭いスタジオゆえ、基本的に全員が舞台空間からハケることがなく、
メインの動きの風景として、実験的な動きをしていたりするのがおもしろく。

なのに
OLさんの発表会的な、オナっぽいイメージを拭えない。
何故なんだ? 
一生懸命すぎるからか?

かの女たちは、
自分の中から湧き出てくるものを感じ取って表現しようとしているから、かもしれない。
だが、そんなにたいしたものか? ひとりの自分の容量。
 
ちょっとキムさん風の言い方になるけれど、
外から働きかけてくるものをイメージして反応しようとして、生まれる動き。
そこには、自分の容量以上の表現と客観性が生まれて、説得性というニュアンスが生まれる……のかも、しれないな、とか。
あ、それから、空間の制御ができてない、のかもな。
腕の動き、ではなくて、腕の向こうにあるものの認識、っていうんだっけ?

 

あとね、
誤解を覚悟で書きますが。
60数年前の戦争で、衣食住にそれは不自由した悲劇とか、
女は産む性と分類されてるとか。
それが今の日本/東京で、どれだけのテーマ性を持つというのか、わたしには実感がないです。
食べられなかった、おしゃれができなかった、自由に生きられなかったことが、たとえば与党交代などの政治を変えねば!という原動力につながるのだろうか?と思ってします。
 

身の回りには、
もっと語るべき、みんなで考えなければいけない、もっと切実なテーマ があるはず。

女は虐げられてただの、同権だのと、まあそれを被害者意識を持って語らなければ気のすまない方たちもいるのだろうけれど。
今後のテーマとして考えたら、オンナとオトコがどう尊重しあって折り合いをつけていくか、じゃないのかなあというのが、わたしの肌感覚なわけで。

もちろん、何を表現のテーマとするかは、完全にその人の自由なんですけれどね。