あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

吐きそう だ

今日、腹の立つことがあった。 と、書くと、今日は一日、会社だよねというツッコミが入るわけで、そうです!と言わざるを得ない。

このブログは会社の人たちも読んでいるので、ここでぶちまけるかどうか、今まで迷っていたのだけれど、なんだかもう、どうでもよくなってきた。
書いたところで「どうしたんですか?」と問うてくるのは無関係な女の子たちで、当事者たち(複数なのだ!)は、きっと読んでない振りをするだけだろう。

卑怯な人間、甘ったれた人間、現実を都合よく置き換える人間、いい人ぶる人間、人を蔑み勝ち誇る人間(以下、膨大に略)が大嫌いだ。 
吐き気がする。 
わたしの場合、言葉のアヤではなく、のどの奥が膨らんできて本当に吐きたくなる。 さすがに最近はトイレとの距離を測らなくてもすむようになったが、ときとして居場所を変えるとかは必要だったりする。 今日もいたたまれなくて、変えた。 聞こえない振りをして返事をしなかった。 

10代だったら、同じ建物にいることが耐えられませんでしたから。 

ふだんはこの生理的な嫌悪感を押さえて、殺して、暮らしている。 それくらいできなくては、オトナとはいえまい。 にっこり笑ってお愛想だって言ってあげる。 親切な振りだってしてあげる。 「わたしって嘘つきなの」 冗談めかしてわたしが口にするのを聞いたことのない者は、たぶんこの会社にはいないはずだ。

卑怯な人間が嫌いなら、オトコはみんな嫌いってこと?と突っ込んだあなた、鋭いです。 自分が卑怯であることと不器用ながらも向き合えてるか、ということが境目です。 向き合えてるオトコ、少ないです。 わたしの相方も、この文章を読みながらきっとどきどきしていることでしょう。 

親しい友人らは、わたしの皮肉がキツイとか、バッサリと言い放ちすぎるとか指摘しますが、
あのう、
ここにも書けない、人格が疑われるほどのそういう指摘すら、ホントに親しい人相手だからこそ零れた雫の沫に過ぎません。
人間の深層心理の弱さなんて、恐ろしくて語れませんって。 分析とかじゃなくてね。 わたしには「見えて」しまうのね。 その場で、もしくは、しばらくしてから。 ずっと後から。

だからねえ、10代のわたしの一番のあこがれは「死ぬ」ことでした。 人間に絶望することから目をそむけ、一生懸命にいろいろなものに感動しようと努力して。 生き継いで、いた。

よくもまあ、ここまで生き延びて、社会で一人前の顔をして暮らしているもんです。 奇跡だと思います。

というわけで、最後には
わたしに「愛し続ける」ことを教えてくれた相方に、感謝して、おしまい。

(明日の朝、会社でわたしがふつーに振舞えることをお祈りしててください)

 

(少なくともあなた方が日々いい人ぶった結果、状況をどんどん悪くしたことくらいは自覚してほしいです)