で、正しいタイトルは
『放埓の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか、あるいはなぜ私は引越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか。
……です。
意味、あんのかな? 単に長々しいタイトルをつけてみたかったっていう以外に。
沢野氏ご本人のへにゃくにゃしたあの文字で書かれると、まったく違和感はなかったのですが、こうして自分でキーボードを叩いてみると ? ? ? ? ? 頭の中がいろいろとめんどーになってきて、だから、
ま、いっか と思う。
疑問形のタイトルだが、劇中、解題されるわけでもない。
ただ、問題はこの「ま、いっか」という気分なのだな。 劇中の人物たち、悩み行き着くところみんなソコに落ち着いていた気がする……。 うん、たぶんそれが人生の決着。 ラビアン・ローズ。
2007.6.10 14・00〜 SPACE雑遊 / 燐光群
落ち着いて考えると、女にとってむちゃくちゃハラの立つヤローなんですけれどね、ここで描かれている沢野さんは。 バブルに青春を送ったとかは関係ない。 沢野さんは生まれついての沢野さんなんだろう。 目の前の風景を愛でる感覚で、自然に女たちと出来あがってしまうようだ。
オトコはみんな、憧れる生き方なんだろうね。 放埓? 漂泊? 都合よく家庭はキープしたままで。
オンナも少しは憧れなくもないけれど……、生理的に無理。
原作として、沢野ひとしさんの書いたエッセイや小説の文章を、ほぼそのままバラして組み立てなおして、きっちりと整理して意味づけをして、
なんとなくひとりのオトコの人生を、スケッチしている。
小説としての描写とエピソードが言葉として完成されているので、
一人称の文章を、フレーズごとに次々と別の人が語っても、世界が崩れることはない。
時空間も飛ぶなんてものじゃなくて、
ひとりが振り返ると、もうそれは、次のシーン。
装置、ほとんどなし。
いいなあ。 役者さんたちが、みんなステキだ。 しっかりとした技術に支えられて、自分の魅力を織り上げて、世界の中で生きている。
(だから終演後、小劇場にありがちなように出口に立たれてしまうと、せっかくの世界に急にヒビが入る……。 お願い、個としてのあなたたちは見たくない。 あのステキな役柄の夢のまま、終わらせて)
そうそう、
先日、作/演出の坂手さんとお話できたとき、オイディプスがどうこうってあのとき、ですね。
わたしが「オイディプスはうまい長ゼリ(長台詞)をぼーっと聞いてるだけでも幸せ」と言ったときだけ、瞬殺 無視されて話題を次に展開されたのでした。 お、良さを認めたね?否定できなかったね?と内心、微笑。
だから、ほらね。
この作品、役者さんのさらさらと流れる台詞の響きが、むちゃくちゃ気持ちがいい。 とぎれることのない、ごく自然なしゃべり方という作為。 自然な動きと不自然な動きの組み合わせ。
そして坂手さんがおっしゃった「みんなで遊ぶンだ」という意味が、スゴクわかる。
おしゃれでおちゃめで。
1秒ごとが楽しそうなんだ、役者さんたちみんな。
変わったな、自分。と感じたこと。
1
芝居をしている役者さんを観ていて、あ、この人に、自分が今 書いているホンのあの役をやってほしいかも、と夢を見る。 きっとステキだ。
2
いつも、ざっと目を通して捨ててしまう、入り口で渡されるあのフライヤーの束。
自分もいつか、そこに仲間入りするんだろうかと思うと、捨てられなくて、全部持って帰る。
………… ^_^)9 …………へへへ。