あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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人がそこにいる 2

先日ゆちまるサンが、よくわかんないよ(笑)と ご指摘くださったので、
もう少しわたしの感じた「身体感覚の実技」について書いてみます。
って、
しろーとのわたしが語っていいことなのか? いいわけないよなぁ。

えーと、劇作家見習いのお笑い種とでも……。

その1 「肉体の記憶の再現」
という言い方だったかも、すでに怪しいのですが。
去年の「エゴイスト」のリーディングで朱鷺子を読んでくださったhinaさんに、そのあとお酒を飲みながらうかがったことの意味が、ようやく最近見えてきまして。
hinaさんはわたしから見ると、故・岸田理生さんの戯曲を演じる訓練をずっとされてきた、抽象的観念を具体的・叙情的空気として表現できる……(意味、また、わかんないか……)役者さんだと思います。
芝居は言葉だけじゃない、ストーリィだけじゃない、と おっしゃっていたかな。

たとえば、こういうことなの。 
草原で目を閉じて、周囲を感じるでしょう。 音、匂い、空気……。
それを稽古場や舞台で、
ひとつひとつ自分の中に再現することで、
そのときの思いや感覚や、たぶんそれを超えた何かを表現できるの。 

ステキだなあと思ったけれど、そのときは具体的な表現方法としてイメージできなかったのね。

具体例を挙げると、まずいかなぁ。 まずいよねえ。 (でも言っちゃう!)
一切説明のない装置の前で、後姿をみせて立っているだけでも貧民(性格も含む)を表現できる出来ないは、これに通じるんじゃないかと思った。

その2 「意識の組み立て」
役者はいかに自然な呼吸で台詞を声にすべきか、shinoくんやPKOが語ってくれる。
ああ、
最近の役者さんはみんな、役を自分にひきつけるタイプばかりだと思ったら、そういうリアルを追求するからなのね。 ということは、まあ、おいといて。
で、shinoくんが次の段階として言ったのが、意識の組み立て。
自分の、相手の台詞をうまく引き出すトリガーとして、その前の台詞、アクションを、どう(メリハリつけた)表現にするか考える。 じゃあ、その前、その前 はどうする?
で、その意識を持ちつつ、
声を出すときは今動いている感情として 出す。

なんとなく、客観性 という意味がわかったような。
役の感情に浸りきっている自分と、それを演出している自分を平行して(量の変化はあるにせよ)存在させるということなのね。 たぶん。

で それは、意識ではなく、肉体の訓練みたい。
ホラ、先日のエチュードで「種になる自分」を感じたとき、あの感覚に通じる気がするの。 芽が出るにつれて、あ、空気だ、太陽だ、わあ、気持ちいい。 って、これ、思い込もうとする自分なわけでしょう。 種になんか、なれるわけないじゃない。 でもホンットに、超気持ちいいの。 空気や太陽を感じるってことが。 それをうまく外側に表現できたら、たぶん見ている人たちもおいしい空気を吸った気になる……んじゃない、か、なあ?

 

そしてこれが大切なんだけれど、
わたしが戯曲を書くとき どうしてもプロットが書けないことに、この感覚って似ている?って気がするの。
ひとつの台詞を体感して、初めて次の台詞が出てくる。 その積み重ねででひとつの塊をつくり、次の台詞、次の塊を呼び起こす。

そこに居もしない人を居るかのように、ありもしない世界をあるかのように描くという 魔。
音楽のように。 香りのように。 風のように。

ゆちサン。 すまんね。
やっぱりよくわかんない言い方しか、できないよ。