あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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「M.A」 舞台はムズカシイ

                     2007/4/7 17・00〜   帝国劇場

休憩時間、劇場売店にいる友人の 殿 がわたしの顔を見て、「おっ」と笑う。 「久しぶり〜」
だっていつも忙しそうだから、声をかけられないの。 CDくださいな。
「はいよ。 で舞台はどう? ずいぶん変わった?(昨日初日の舞台をまだ観てないらしい)」
うーん、マルとバツがあるなー。
横から、他の客がCDを買いたがったので仕方なく、わたしは売店を離れる。

東京で2ヶ月公演のあと、3ヶ月、博多と大阪で公演し、凱旋と銘打って4・5月の東京公演の2日目。 前から2列目のセンターブロック。 

こまごまとした微妙な変更はたくさんあって、どれもステキに機能はしているのだけれど。
大きくみれば、そんなに変わっているわけでもなく。 (一度出来てしまった作品を「壊す」ということは、もう難しいのね)
3ヶ月の間にさ。
舞台の質を落とさなかったってだけでも、偉かったというべきなのかもしれないけど。
この程度の「慣れ」に目くじらを立てるべきではないのだろうけれど。
ホントに! それだけで十分。 「もっと」というわたしが欲深なのだけれど!
ロングランということ、舞台を育てていくという難しさを考える。

ああ。
ちゃんと役を深めている人は深めている。 ひとりひとりが。 うん、ひとりひとり、でね。
ただ、それが周囲に化学反応を起こしていっていないような。
アントワネットとフェルセンの関係は、内面的なドラマになってきてた。
ルイの人間的な悲しみや愛しさに、感化された周囲の反応がもっとあってもいいような。 

俗に言う、「第0幕」の必要も考える。
幕があがる前には何が起こっていたかを役者がシュミレートすることを指すんだったと思う。 
特に1幕のマルゴと貧民たち。 切実な苦悩を抱えていないように見えるの。 貧困であるということ、空腹であるということ。
こう表現すればこう見えるでしょう的な演技……でしかない。
心の声を歌いながら蜂起していくシーンが、貧苦の末の爆発ではなく、「音へのノリ」でしかなく感じたのだけれど、あれはそれでいいのかな。
今の日本人に、切実な物質的な苦悩を表現しろということ自体が、すでに無理かもなあと思う。 だとしたら、演出や脚本は別の切り口を探すべきなのかな。

テーマとのズレ。 これは全編を通したマルゴの衣装にも言えるの。 現代的なかわいいカッティング。 せっかくミニタリーグリーンであるのに、かの女の存在意義を消していない? アントワネットの衣装とリンクさせているのはわかるけれど、機能していない。
演出家の縛り(または依存)の難しさも考える。 

でもね、アニエスの祈りは切実なんだよなあ。 聴き入ってしまう。 この差は何?と考える。 役どころのお得感もあるが。

アントワネットの、自分は外国人であるというコンプレックスが最初にもっと出て来るとおもしろいんだけれどなあ。 とも考える。 そのかの女が、最後にはフランスの女王として殺されていくわけだから。

この公演からキャスティングされたタマさんと今さんが、……よかった!
オルレアン公。 タマさん、壊れた人間をやらせたらこんなにハマるのね! すごい。
ハンカチを出しただけで客がくすくす笑っちゃうって、この人物造形はなんなんだ!
フェルセン。 井上フェルセンに夢中だったアントワネットと、今フェルセンに夢中なアントワネットは、別人格に見えるほど違う。 これが舞台のおもしろさだなあ。 
今日は初めて、この恋に引き込まれました。

そして伯爵さまの課題曲。
ほんとに課題、だねえ。 
たぶん歌いこなせたら、この作品全体の色が変わってくると思う。
たぶん……だけれど、
ほんとに、もしかしたら、だけれど。
あなたが奥底に封印している虚無と絶望を開放すると、変わってくるかも?
(あははは。 オッカナイこと言っちゃった♪ 開放されたら、手に負えないかなあ)

ところで
本日、一番感動したのは、コンダクタの背中、指先、コケた頬。
3時間、なんのかのといっても上質な舞台を、引っ張っていらっしゃるのはこの方だと思いました。
そうか。
登場人物すべての苦悩と喜びを背負っていたのは、コンダクタだったのね。

 

はあ。 言いたいこと、書いちゃいました。
すんません。
持っている次のチケットは月末ですが、時間が出来たら観にいきます。
もう少し、離れた席で見たいし。