あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

命の行き来

逝く命があれば 来たる命も あり

身近にたて続けられて ふいと宙を見上げたくもなり

風はまぶしく

だが あの青の奥には 闇が秘められている

音のない 星や太陽を抱いた 輝く闇

その底で

一筋に 刹那の命が流れていく 

 

叔父の納骨を済ませた翌日、
娘/ホストマザーをした留学生 から懐妊の知らせのメールがあり、
今朝、
会社の同僚のご母堂が突然死されたと知らされる。

命の来し方、帰し方の先を考えずにはいられません。
……宗教ではないよ。
不安を整理したいわけではなく、

たぶん

自分のあり方は正しいと酔いたいだけ。

 

宗教については、少し考えた。
逝くときには宗教の儀式が必要だが、
ベビーが生まれるときには、儀式はいらないのな、とか。
人間のズルさを象徴しているみたいで、気分が悪くなる。

  

日曜日、家に戻ったわたしは玄関で塩を使わなかった。
伯父の死は、穢れか?と思ったので。
あの日、
みんなで対面したのが、父がひとりで持ち帰ってきた、すでに遺骨の包みだったせいか、
伯父が派手好きだったからと、宗教を無視して赤いバラを墓に飾ったせいか、
空気が明るく静かに乾いていた。

こうやって淡々と、身内の死を迎えられるのっていいな、と思う。
これはわたしが
伯父と生活の接点がなかったから、なのかもしれないが。

 

懐妊の知らせを聞いたとき、
かの女のからだが突然、宝石を秘めた宝箱のように思えてきた。
家族の宝だ。 大切にするんだよ。
(弟の嫁のときにも感じなかったのに。 笑笑っ)

 

そうして、姿勢を正して。
誰も居ない部屋で。
自分の向こう側に、命の流れる音に、静かに耳を傾けている。