06/11/26 17・30〜 帝国劇場
以前観ていた時、お隣の席のミーハーらしいおばさま(顔はみませんでした)がため息をついた。 「ホント、きれいよね〜」 そのことがずっと、気になっていた。
土居さん、もちろんキレイです。 清楚な歌もすばらしいです。 ただ、第一幕のあでやかなアントワネットやぴちぴちのマルグリットを差し置いて、ため息がでちゃうほど、圧倒的に美しい……と思わせるのは、何故?
わたしの思い込みな結論を先に言ってしまうと、アニエスは日本女性の共感・投影がしやすいのかな?ということです。
謙虚で真摯で慎み深く、思いやりに溢れ、社会的には弱い立場だが、芯は強い。
強情、傲慢、わがまま女のふたりの主人公に、共感・応援しちゃうことが(たぶん無意識の中で)許せなかったんだろうな、あのおばさまは。
「○○が好き」という発言は、表現手段を持てない人の自己表現なんだと気付いたのは、数年前です。 だから自己表現の手段を持っている人は、馬鹿馬鹿しいとか言わないで、やさしくうなずいてあげようよね。
たぶんね、おばさまは隣のオトモダチに、アニエスが好きだと告げることで、自分はいい人なのと伝えたかったんじゃないかと思えるのです。
で、
わたしが気にし続けるのは、それが多数派の感性なのか?ってことです。
キャラとしての人気投票したら、かなり上位にきそうだよねえ。
ってことはさ、やっぱり日本人向けの主人公を設定するとき、考えなきゃいけないポイントなのかもしれないな〜ナンテ、思うわけですね。
今日は2階席で、声が完全にマイク音になっちゃうけれど、逆にフラットに聞けたのかもしれません。
情景設定の説明がばらばらと続くばかりで、緊張したドラマがなかなか始まらないのがなあ、とか思って。
会話、役者さんのスキルに救われているけれど、もしかしてかなり……? (自分に言葉が返ってきそうで、怖くていえないー!)
「100万のキャンドル〜♪」のとき、前半は音なしの貴族の社交シーンを背後に流して、貧乏庶民とオーバーラップさせながら入れ代わっていったらどーなのかなー、とか。
まあ、対立の構図っていうんでしょうか。
特記はフェルセン。
井上くん、1曲だけ貴族ではなく人間として、ナマっぽく歌うことを選んで。
それがとても、心打たれる見せ場になりました。
拍手したいけど、拍手のタイミングもあるんだけれど、客席の緊張感をショーではなくドラマに持っていきたいので、拍手、ガマンする。
しかしここんとこ、何気に聞えてくる客席やら周囲の女の子たちの話題がさ、「今日は妙な動き、しないねえ」なんですけれど。
何を期待されてんだ、カリオ!