あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

価値観

おもしろい本を読めば、薦めたくなる。幸せのおすそ分けみたいな気持ちで、薦めてきた。ところが、ホントに人というのは、さまざまで。

「シャドーダイバー」
潜水夫が沈没船を探索するノンフィクション。どきどきして読み終わるまで、お尻と椅子が離れなかった本だった。友人にも貸したら、やっぱり最近読んだ他の本がぶっとんだと言った。ね、そうでしょ? 「たぶん好きだと思うから、(ナチュラル嗜好の)友人に貸してもいい?」 もちろん、いいよ〜。
ところが、早々に本が戻ってきた。「読めないんだって」 え?? 「閉所恐怖症だから」 ……はあ。それはそれは、思いもよりませんでした。

「あなたに不利な証拠として」
「少し読んだけど、あんまりおもしろくない。だいたい、ミステリーじゃないのねえ」 う〜ん。 どっちかというと、女が男社会で働くうえでのストレスを共感できると、おもしろいんだけれど。 他の友人に視線を投げると、「うん、わたしはおもしろかったよ」。 「そうなんだ。じゃあ、続きはそのつもりで読むわ」 ……しかしかの女は、自由業と主婦業の経験者。男社会の中の、分厚くやらしー壁は……。

 

先週、職場でずっと一緒に作業していた25歳のかの女は、自分が好きなまんがの話をわたしとたっぷり交わせたことに、ちょっとばかり感動していた。 かの女が好きなまんがの時代やジャンルが同級生たちとは違うので、「好きな世界を熱く語り合う」経験が今までなかったんだそうだ。 (読むというから、先日段ボール1箱分のまんがを宅急便で貸しました♪)
ときどき、そういう人と出会う。 地方都市で少し文化意識の高い(違う)趣味を持つと、語り合う友人を得られないということ。
わたしはね、東京であるせいか、周囲に、あたりまえのようにいろんな形で、人があふれていて、まんがでもゲームでも芝居でもその他でも、あらゆる情報交換が身近にできたけれど、実はそれはラッキーなことなのかもしれない。
ネットをうろうろしていると、うっかりそういう人たちの(うざい)掲示板に迷い込んで……。よかったねえと、感じたりする。孤独なおしゃべりたちが、下手ながらも、出会って発散しているわけだよね。

また、そっちの話につながるのかと言うかもしれないけれど。
少年Aには、同レベルで文化を語れる相手が、いなかったのではない?と思う。 友人にも、おとなにも。 評論家たちは「非常に高い知識とセンス」とかいうけれど、ちょっと早熟でまんがやゲームに親しんでいるこーいうコドモは、東京には掃いて捨てるほど、いる。 お互いに共感したり障害になったりするができれば、才は(わたしや友人たちのように)別の形に展開できたんじゃない?という気が、する。

自分の自信や価値観を、ちょろちょろと打ち砕かれるということは、大切なんだよ。
今の教育では、「褒めて育てろ」とか「ゆとり」とか言って、傷つくことを注意深く避けてるから、人間が育たないんだよ。 傷つけたら、その分フォローすれば、抱きしめてやればすむはずのことなのにね。
そうして流動する人間関係が、やがてゆるぎない絆を作るんじゃないのかなぁ。