あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「糸地獄2006」を観た

                        2006/7/29 14:00 〜   シアタートラム

わたしの書きたい芝居の方向が、どうやら幻想劇という括りらしいという時点で、師匠から必読と言われたうちの1冊が岸田理生の「糸地獄」。言葉やイメージがあンまりにど真ん中の好みで、息を呑みました。(わたしはもう少し、「お話」を書きたいけれどね) 書かれているのは、少し時代がかった母と娘の濃くて哀しくて詩的で紅い妄執。

活字をたどりながら、わたしの中には、大きな月がのぼり、シルエットが浮かび。風が吹き、紅い糸が絡み合い、男が殺される。ここまで確信できるほど、文字から舞台をクリアにイメージできたのは、高校生で読んだエクウス以来かも知れません。

(ついで、幻想劇の約束事を教わる。だからわたしはTDVについて、実はもっともっと突っ込める。ただ修正のきかない部分を突っ込んでも、詮無いから)

この舞台。だから脚本から立ち上ったイメージの再生、とも言える、が、実は違った。頭の中のイメージと、目の前の他人による現実は、違うのだ。

スモークの匂い、役者の立てるささやかな物音、どんと飛び降りた拍子に床を伝わる振動と衝撃。オンナのため息が、ひゅうう、こんなに「風」に似ていたとは。師匠に指摘された、わたしに欠ける現場の目線。指摘されただけで、今までとは違うチェックを、確かにわたしはしている。装置、照明、役者の出捌け。この動作を行うために必要だった空間の広さ、そして、……リズム。

ああ、ちょっとだるいのは、演歌、艶歌のリズムだからだ。わたしはもう少し、早いビートで読んでいたから。

そして、

書かれたのは、わずか20年前なのに、テーマの重さがすでに空回りをしている……。今の日本の女性は、断ち切りたいと切望するほどの太い絆を、家系や亭主や母や娘に感じているのだろうか。

ラストシーンが、わたしのイメージと大きく違っていて。わたしは「現世」で女たちは微笑みながら時間を紡ぎ続けていくのだわと思ったのだが。今日見た舞台では、女たちの「地獄」で、日々これを演じ続けているのだというイメージを感じ、美しかった。戯曲はどうだっけ?と確かめたいのだが、本が誰かの家に行ってしまったままらしい。