「TDV」で一番の謎(というか、突っ込みどころ)は、何故、ハンターであるはずの教授は、杭を打ち込まずに、みすみすヴァンパイアを見逃すのかということだと思う。テーブルに横たわるマグダ、棺おけで眠る伯爵と子息。
(付随して小さな謎。噛まれた痕として、「小さな穴がふたつ」。ヴァンパイアにも下あごがあるんだから、「よっつ」なんじゃない?)
教授の行動に誰もが「何故そこで退治しない?」と考えると思うし、一番悩んだのはたぶん、当の市村さんだと思うの。と、そこまで考えたら、教授の幼児性を押し出した役作りの意味が、見えてきたわけです。
なんにでも首を突っ込んで、能書きを垂れて、人格者ぶっているから気付きにくいけれど、教授ってほとんど自分では何もしていないんですよね。助手のアルフレート(ご苦労様)に、いちいち着替えを手伝ってもらい、本の山を見つけると本筋を忘れて(現実から目をそらして)没頭し、他人の手柄もあれは自分の理論だと主張する。「おまえは理論はそこそこだが、実践はてんでダメだ」と、アルフレートに文句を垂れるけれど、実は自分こそが、なのよね。
安全地帯では大威張りだけれど、ちょっと突っ込まれると逃げ腰になる。プチ批判ばかりがエラソーで、経験値と行動力はなし。でも他人の評価はほしい。なんて現代日本人の典型。なんでそれに気付かないで尊敬できるのか、ミーハー・アルフレート。
市村さんが気の毒なのは、教授をひとつの人格として表現するのは、ずいぶんむずかしいのでは?と思うのに、ごく自然にしかもチャーミングに演じてしまうから、「さすが芸達者ねえ」の一言で、終わってしまうこと。……でも、もしかしたら、それを望んでいるのかな?