あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

自分のスタイル

少し、自分を振り返ってみよう。

劇作をするときの「自分のスタイル」を手に入れた気がする昨今である。たぶん、もう迷わないと思う。……長い道だった。

東宝戯曲アカデミーでは、基本的に「芸術座」をイメージした作品を求められた。(まあ、わたしの参加した「期」の大部分は、あっさり無視してましたが) つまり、とてもわかりやすくて、感動しやすいこと。講評の二言目には「人間が書けていない」で切り捨て。なのに、どうすれば人間が書けているというのか、は、いつまでたってもわからない。たとえば、「こんなスーパー歌舞伎じゃなくて、人間を書けるようにならなくちゃね」とか講評される。わたしにしてみれば、これがスーパー歌舞伎として通用するんだったら、それで十分よっと(そのときは)思ったのだが。 

今だからよかった(かも)といえるのは、がむしゃらに書いたこの時期に、いろいろなスタイルを試せたこと。わかりやすく、感動しやすいことをベースに。だがだんだん、「自分」が不満になってきた。わたしは、一度書くことをやめた人間だったので。せっかく、もう一度書き始めたのに、書きたいものを書かないでどうする?という思い。でも、わたしが書きたい芝居って、何? わからない。

そんなときの特別授業の講師が石井さん(お名前を失念。このバチアタリ!)。それは美しい舞台美術と照明のワークを見せられて、あっ、と思った。ダメ押しに「エクウス」という芝居のタイトルが出てきたとき、わたしは心の中で「ああっ」と叫んだと思う。わたしが書きたい芝居の方向! 時間と空間が壊され、再構築された音楽と光の演劇。その中で人間を書くってことなら、わかる。やりたい。

次の課題に、帚木蓬生氏の中編小説を脚色。わたしの1歩は始まった。

その次の最終課題は惨敗。何をどう書けばいいのか、わからないのだ。わからないことを、誰にどう訊けばいいのか、何をどうめざせばいいのか、勉強すればいいのかも、わからない。そのまま卒業、さあ、書けなくなった。

しばし、時間が流れ。

伊藤キム氏の舞踏/コンテンポラリーダンスにいよいよ惹かれ、この感動を演劇に取り入れようとしたら、どうすればいいのかしらという妄想が膨らみ。

劇作家協会のインターネット戯曲講座で、野中友博氏と出会う。わたしが今、師匠と読んでいるのはこの方です。巷では泉鏡花の再来と呼ばれてるっていえば、作風もなんとなくわかるでしょう? この方の舞台を観て、わたしは自分の好きなものを妥協してはいけないんだと、強く思えるようになったのでした。

もうひとつ、野中氏は、演劇を理論として説明できる才もあり、教えることもキライではないという世話焼き。ただし毒舌。ある意味(わたしに似た部分で)潔癖症。この方が、ひょいと指差してくれたわけです。わたしが、何をどう書けばいいのか。

言葉にすると、ちょっと簡単だけれど、それはそれは、ご迷惑をかけました。でも師匠は、この書きたいものを言葉で説明できない生徒を、辛抱強く、待っててくれたのでした。半年間、もがいてもがいて。そして最後の1週間。書けないっと悲痛なわたしに、講座が終わっても劇作、見てやるからと野中氏はおっしゃってしまった。わあ、よかったぁと、ほうっと息を吐き出したとき、

いろんなことが、突然、すとととんっとわたしの中で整理され始めたのでした。がーっと澄んだ月夜のように、広がっていく。わたしの書きたい芝居、なんとなく、手が届きそうかも……。

いやいや、道はまだまだこれから、厳しく続くのはわかってますが、「自分の書きたいのは、これ」と迷わなくなったこと。かなりウレシイ、わくわくすることなのですヨ。過去、書いたものを一度全部、手直ししたいし、新しいものも書きたいし。

自分のために。そして、もう目をそらさないひとりのために。