あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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差別しない という 差別

(今日の出来事 / 駅の売店で、新聞を買う。携帯の待ちうけ画面を変える)

きのう作文しながら、「らい」という字を眺め、その後ろに秘められているであろう社会の暗さを考える。けっして、軽はずみな発言はできない。それを前提に……。それから劇作家には社会問題を語らせると、猛勉強に裏打ちされた、マグマが荒れ狂うような発言を当然とされる方が多いが、わたしはそーいうつもりはないことも、最初に。

三島の「らい王のテラス」は、バランスがよく、それは楽しめるいい戯曲だと思う。ひろちゃんの指摘のように、全集があれば戯曲として収録されるわけで、しかも出版界は最近「当時の見解・表現ですのでご理解ください」的な一文を載せることで、差別的な表現をクリアしてしまうから、問題はないわけだ。でも、上演はないでしょうね。三島のテーマが病気ではなく人間の生き方であっても、方法として具体的に使われている以上……。

ところで、「差別用語」「差別的表現」って、特にコードがなく、実はほとんど自主規制なんですよね。(勉強したわけではないので、違ってたらドンドン突っ込んでください) 20年前、わたしがまんが家としてデビューするとき、タイトルを最初「脳天気なジェラシー」にしたんですね。これを担当サンからチェックされた。(この担当サンは日本語にレディスコミックという単語を作った優秀な編集者です) 「脳がお天気である」という表現は誤解をうむ可能性がある。脳天気って、そーいう意味じゃないですよ。わかってるよ。でも、ここで意味のないリスクをつくるな、とか何とか。「だめなんですか?」「だめじゃないけど、意地を通したい理由があるの? 主張があるんなら、編集長と喧嘩するけれど」「……ないです」 活字になったとたん、「能」天気とかノーテンキとかにしておけばよかったんだぁと気づいたけれど、アトノマツリ。

演劇というのは、承知した人間が集まった閉じられた空間なので、わりと頻度が高いとは思いますけれどね。言葉は残らないし。

夕べはずっと、「らい」が出てくる作品をあれこれと思い出していたのですよ。「ベン・ハー」はTVで再放送するとき、どうしてるんでしょうね。映画の「砂の器」は言葉にノイズを重ねてたように覚えています。最近TVドラマでリメイクされたときは、確か病気が犯罪者に置き換えられたんですよね。音楽座かな、「私が・棄てた・女」を上演したときは、イメージとしてシルエットで描き、ウンと婉曲な言い方をしたように思う。

罪もないのにキズつく人がひとりでもいるのなら、絶対に使ってはいけない表現なのだと思う。しかし一方で、表現の範囲をせばめていないのか?とも思う。「らい王のテラス」のあのクラリとくるような表現に変わるものは、ない。「気高い美」と対極するものとして「病」「崩れ」「腐敗」「精神の醜さ」などなどがあり、両方を密着させたとき、濃厚で芳醇な人間という香りがトロリとたつ。……たぶん……。三島はあの作品の中で、いくつもの対極する存在を俗っぽく描いてみせることで、わかりやすいドラマを立ち上げた。(なんてステキな職人芸!) 作家に差別する視線が微塵にもないから、差別的表現にはならなかったということで。

(で、ここまで語ってなんですが、わたしは三島が苦手なのかも。半年以上も持ち歩いている「禁色」は、1/5くらいでストップしたまま。あちこちの言葉にひっかかって、読み飛ばせないことが原因かも)