前から欲しかった色のあじさいを買ってもらった。
花屋さんから自宅までは、シートベルトで。
根付く邪魔にならないよう、花は切り落とされたので、
受け皿に水を張って、浮かべてみた。ちょっと気に入った風景になったよ。
前から欲しかった色のあじさいを買ってもらった。
花屋さんから自宅までは、シートベルトで。
根付く邪魔にならないよう、花は切り落とされたので、
受け皿に水を張って、浮かべてみた。ちょっと気に入った風景になったよ。
この年齢になると自分の記憶すらがミステリーで、結論はでないのだった。
わたしは過去、勅使河原三郎氏の舞台を観たことあるのか?
わたしの中にはちゃんと、勅使河原さんのダンスはスタイリッシュでストイックでぐねぐねしている。と刷り込まれているのに、では過去どんな感銘を受けたか?が思い出せない。
ポスターやフライヤーを見るたびにチケットを買うか迷うのは確かだ。良質な感動が約束されているのはわかっているから。
それでも観ることなくここまできたのか?
だが今日の再演を見る限り、舞台上で使用されている映像や音楽の記憶は、途切れ途切れだが、確かにある。これ知ってる!と何度も思う。
折々に、作品を映像で見ているのかもしれない。と思う。
映像だと、演出や動きの妙とかはわかっても、ダンサーのからだが作る温度や空気感に突き動かされることは少ない。観たつもりになってはいけないのだ。そのくらい別物になる。
今回、拝見させていただいた勅使河原さんは、確かにスタイリッシュでストイックでぐねぐねしていて、広大で美しい風景や心象を描き出す名手でいらした。
とにかくかっこいい。
そして二箇所。わたしをわしづかみにしたシーンがあった。
わたしは最近ずっと、何を観ても読んでも、違う。ほしいのはこれじゃない。という想いに支配されている。じゃあなにが答えなのか? 自分でもわからない。
という自己嫌悪。不信。迷路。逃避。逃避。逃避。
それが、
唐突にぽかっと水面に浮かび、息継ぎができた感じを持てた。
そんなふたつのシーンだった。
ひとつは、
無機的で怜悧なシーンのあとに配された有機的な風景。
芝生の広場に風がそよぎ、木が伸び、枝が揺れたり。石だか種だかがあったり。(というようにわたしには見えたシーン)
ああ。枯山水だな。
ないものが見える。
見ているこちらの呼吸が、座禅を組み、瞑想しているかのように、完全に支配されてしまった。
何かの芯に近づいているような。一方では個を失い、宇宙全体のなかをたゆたいながら、あたたかいなにかを分かち合っているような、風になる。
深海の中に、自分の中に、沈殿していくものがある。
排出され、蒸発していくものがある。
そんな呼吸だ。
それらが重なり合い、揺らぎ、近づき、すぅっと寄り添う。まとめられる。
ふぅっと、自分の呼吸が戻ってきて、わたしはにっこりしてしまう。
もうひとつは。
冷たいブルーに彩られた、ジョン・ケージの『4分33秒』的なシーン。
というより、今、リンクを貼るためにウィキペデアを開いたら、絶対零度という単語が出てきてて驚きましたよ。
しかも今回の偶然というか、わたしは前日にね。テレビつけたらこの曲が解説されてて。アート系男子ってこういう風変わりだけが取り柄(ごめんなさい)な趣向、好きなんだよなぁとかあらためて感じてた直後で。
その解説というか坂本教授と福井先生の対談なんだけれど、シグナルとノイズの話で。
普通はノイズを排してシグナル(美)だけを抽出した構成をアートとするわけだけど、ケージはそのノイズのほう、「地」の音をアートに選んだのだよね、とか。
というわけで。
ちょっとコバカにしていた『4分33秒』体験に、(極上の解説付きで)いきなり放り込まれてしまいました。
そして。
これが――めっぽう、おもしろかったのです。はい。
感覚を広げて、客席のたてるカサコソとかコホンとかいうノイズを呑気に拾って楽しむうちに、茫洋とした客席と緊張のまま固まっている舞台と、どちらが余白であるのかが次第にあいまいになり、とけあって、
くすぐったいというか、笑いだしたい愉快な気持ちになり。
世界って広くて、呑気だなあ、とか、ね。
余白とか余裕とか覚悟とか、この年齢にして味わえる感傷を、心の中に転がしてみたり、ね。
ええ。ええ。そのふたつのシーンは、わたしに喜びを思い出させてくれたのでした。
喜び、か。
去年、東京都ヘブンアーティスト被災地支援のお手伝いスタッフで、川俣町農村広場応急仮設住宅にお邪魔したとき。→そのときのブログはコチラ
ちらしを配りながらおしゃべりしたおばあちゃまから、アサガオの一種だと種をわけていただいた。
あ。そのときの強い印象はこっちに書いてあります。読んでね。
春がきて、東京のベランダに種を撒きました。↓↓
丸一日、種を水につけてちょっぴり発芽させてから撒いたんだけれど、12粒から地面に出てきたのは3つ。で、ひとつはよわよわしい双葉から大きくならない。。。
それでも、
5/5
次の日 5/6
5/20
5/26 支柱を立てる。
実はこの前日、割りばしとひもでネットもどきをつくったんだけれど、あっという間に風に飛ばされ(マンション玄関で発見。汗る)、支柱は支柱じゃなきゃだめなんだな、と知る。
6/1 わー。つぼみだ!
スッカリうれしくなってツブヤいたら、早速、友人からそれはアサガオではなくモミジバルコウソウですと指摘が入る。
これがつぼみのつぼみかしらね。
6/2 咲きましたよ!
でもね。
あの仮設はこの春に解散したはずだから。
種をくださったおばあちゃまとも、種を取ったもとのプランターとも、二度とお会いすることはないのよ。
ビーズクッションというのはふわふわもちもちな至福の抱き心地の一方、やがては汚れ、ビーズはつぶれていく運命です。
来客によってはおしゃべりしながら抱きしめて、ねじりあげたりして(口には出せない鬱憤があるのだろうかと、とりあえず黙ってみてます)。
一方、あンまりな様子にこのコはそろそろお役御免か?とつぶやくと「だめです!」と反応するコアなファン?もいる。「そんなこと言うのなら引き取ります!」って、こんな染みだらけのぺったんこ、人さまに差し上げられるレベルでなし。
というわけで、どこまで救済できるかやってみた!(あ。これを真似して失敗しても責任は各自でとってね)
ども。今回話題のつぶれ汚れイッタンモメンです。
ここに引っ越してきた頃、今は亡き地元の本屋で抱き上げたら、手を離せなくなり連れ帰りましたとさ。
で。なんでさかさまな写真かって、このコのファンのKちゃんがなぜかこの方向のキャラだと思い込んで惚れてしまったから。周囲のみんなが親切にも元キャラの画像をググって見せても、こっちが真実だと譲らない。
にしても、来客みんなからの愛され具合がわかるヘタリ様。
◆洗う
お天気のいい日が続くことをチェック済みの午前中を選ぶ。二日間は干すためです。
ファブ系の染み、原因不明の染み。これが落ちるかどうかわからない。
ビーズクッションは中身をあけたら最後、悲惨な状況になりますから(後半に出てきます☆)、まずはそのまま洗ってみました。
シャンプー中とつぶやいたら、ちょっとウケた。
このあと、全身浸かってもみもみと、つまみ洗い。
一般的な言い方をすると「おしゃれ着洗い用の洗剤」を溶かしたぬるま湯です。わたしは普段からこちらの洗濯せっけんなので、コレ。
さて。濡れてぐっしょりと重くなったクッションを、
サイト検索では洗濯ネットに入れて脱水とあるけれど(破れて中身が出たとき洗濯機がタイヘン!だから)、うちの洗濯ネットでは粗いから意味なくね?と思いながらも、まあ一応入れて、
次が肝心。バスタオルでくるむ。(昔おもちゃ屋で働いてたので、シュタイフのぬいぐるみの洗い方として身についてます)
脱水は15秒くらい。それ以上だとイッタンモメンが目をまわすからね。(これもおもちゃ屋で使ってたトークw)
おお。思いがけずに汚れがとれた。経年による黄ばみとスレは仕方なし。(←なぜか古本屋さんのフレーズが思い浮かぶ)
ベランダで陰干し。
ときどき中身をもんで、ひっくり返して。
水分が残るとカビの原因になるので、二日以上かけて、奥のビーズまでしっかりと干します。
◆中身の補充
中身用にはこちらを買いました。500gって羽根枕くらいの量。 かなり余った。
MOGU社のは、写真右上のように注ぎ口がついている親切。
八ヶ岳の家のビーズクッション補充の前例から、
・部屋にブルーシートを敷く。
・掃除機をスタンバイ。
・足はむき出し。(パウダービースは布(パンツ)より皮膚のほうが後処理が楽)
ある程度のパウダービーズのロスは前提です。
クッションのタグあたりに縫い目の粗い部分があったので、糸を解く。ビンゴ。挿入口用の処理がされてました。
サイト検索案に従って、ラップの芯を差し込んでみる。
ここからビーズを注ぎ込んで、なかなかいい感じで、全然こぼすことなくことは進み、
おっおっおっ、素晴らしいじゃん!とご満悦な中、
んん? スピードが変わった? ちゃんと注がれてんのか?と心配になり(あとから思うに、静電気でパウダービーズが固まって、つまっていたのかも?)、
わ。汗が目に入った!と反射的に動いちゃったら、あえなく注ぎ口が外れて、パウダービーズが飛び散りました。あーあ、やっぱりやっちまったな。
もう、じかに注いでよくね?
なんか気持ちよさげなイッタンモメン☆
じかに入れてもつまり気味になってきて、再び紙筒を使ってみる。この中で詰まりやすいのでときどき紙筒ももみほぐす。
結局、紙筒を使ったほうがいいのか、わかんなかったな。
挿入口をかがっておしまい。
あ、懐かしい!と感じたから、購入時の様子にずいぶん戻ったんじゃないかと思うんだよ。
こんな太ったワタシになっても、コアファンのKちゃんは愛してくれるかしら。