あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

野毛大道芸

横浜でおじさまに道を訊いてはイケナイようだ。三回訊いてお三方ともとても親切で感じもよかったのだけれど、わたしはチットモ道を見つけられないのだった。

そもそもHPサイトに載ってた地図を思い切り読み違えたのが始まりで、迷った挙句ぐぐるマップのお世話で一旦駅に戻り、電車を一駅逆もどりした。

ようやく会場についたら、もじゃくんが終わるところだったよ。えー。

 

仕方ないので、一回会場を歩いてみる。

 

うつしおみ

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狙いはわからなくもないのだけれど、衣装も音楽も演技も笑顔もなにもかもがあいまいで。あいまいで美しい世界を目指すのと、ショービズとして見物を異世界に迷い込ませることとのそれぞれの芯がブレている気がするのだった。以前観かけたときはいたたまれなかったことを思うと、少しずつ進化はされているのだろうけれど。

女の子の肌の色とコバルトブルーが合わないなぁとか思いながら、もっと他の感想を持てないのか自分?と心の中で問うてみる。

 

Performer SHO!

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ショウくんの人波を覗き込んだら、とたんに本人と目が合い、みてって!という顔をされた気がした。おー。新しい大技を取り入れたんだね。いよいよひとりサーカス感が強まったなあ。

 

ポールダンスを日本の大道芸に取り入れたのはめりちゃんで、度肝を抜かれる大冒険だったわけだけれど、数年たった今ではいろんなバリエーションでほかの人たちもショーを展開しはじめた。

となると、ポールダンスというのはあくまでもツールであって、見物をどこに連れていけるか? 本人がどれだけ大勢の人たちをタラせるか? が勝負どころなんだなと思う。そうでなくても大道芸は技とアイディアの(ときどき腹がたつほどの)盗みあいなのだ。

ショウくんは魅せるリズムが上手いので、ポールダンスの技術のあやうさをうまく捌いて、見物たちをすっかりわくわくさせてしまうのだった。上手い下手じゃないんだよねえと思ってしまう。(基本の芸は安定した素晴らしいテクニシャンですよ!)

 

ショウくんの人相が変わってきてるのが、ちょっと気になった。おとなになってコワイモノ知らずだけでは通用しなくなったってことかしら。でもブレたらだめだよ。自分だけを信じて突き進まないと迷路にはまるタイプな気がするよ。

 

toR mansion 

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で、今回、何を見に来たかって、toRの新作なのだった。お衣裳やメイクとかもチェンジチェンジ☆ シックだし、こっちのほうがわたしは好きだわ!

見惚れて写真撮れなかったけど、さかさまになったときのまるさんの顔が、特に目が、道化の持つ完璧な世界観だった~

ショーのほうは、流れがまだまだ強引!な感が強かったけど、

桜の名残りの花びらがちらちらと舞う街角で、toRのショーを見ているということ自体が、やわらかな夢幻みたいで幸せでした。

 

マサトモジャ

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背景との色合いが偶然にもキレイだったよ。

やっていることは相変わらずで、
かれの場合は見物が、理解しようとか技術を楽しもうとかすると、たぶんわけがわからなくなるんだろうなあと思う。期待やルールをゆるゆると外しまくっていく全体の空気感を、もじゃくんの人柄を、まるっと楽しめるかどうか、なのだ。

隣の会場でやってたヒッツくんとかもそうだけど、破顔しただけでこっちがスッカリうれしくなってしまう。次に何をしでかすか見えなくて、わくわくする。つまり人タラシ。

 

Asia Gold Pro Wrestlijg

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屋外で観るのは初めてだわ。

今回気づいたのは、プロレスって、対戦レスラーとレフェリーとアナウンサーと解説者と見物がそろって、はじめて出来上がるパフォーマンスなのね。(以前、総帥とさくクンのショーって書き方しちゃって、あとのお三方にとても失礼だったわ)

もうね、涙流して笑いこけて、ひゅーひゅー叫んで、楽しんだよ。なんでもありの、死に物狂いの、はちゃめちゃ!ってヤツです。

そしておじさんたちにとってプロレスって、なにか血のたぎるものがあるのかしら。リングの周囲に集まってくる方たちの空気感が、ひそやかなわくわく感が、他の大道芸とはちょっと違ってたようなw

 

プロレスが終わったら、雨がぽつぽつしはじめて、地元に帰ってきたら本降りに。

がつがつと夕飯をたっぷり食べた。

 

ふんわりと幸せだ。

 

 

野毛大道芸は今日もやるよ。雨、ちゃんとやんだよ~

 

『王家の紋章』

一回読んだだけの芝居のパンフレットが本棚に積み重なっていくので、最近は買うのをやめる傾向にあるのだが、

休憩時間に帝劇スタッフのおにいさんが、とてもチャーミングな呼びかけをされていたので通りすがりに思わず吹き出し、購入。美術や照明などのスタッフさんのコメントがガッツリ読めたのが、そうかそうかとうれしかったのでした。

舞台の上や周辺やバックヤードだけでなく、ロビーも含めて劇場全体があたたかな創意工夫に満ちているのかなと思ったりして。

 

 

涼しい顔して普通の本公演、半年後の再演という顔をしているけれど、実は確信犯なトライアウトを積み重ねてる気がしてます。なるほど、こういう興行形態を細かく積み重ねてブラッシュアップしていく方法があったのね。

 

日本の文化は基本、なんでも(紙と生木の)使い捨てで。歌舞伎もタカラヅカも、たいがいの劇場は、一か月ごとに演目を新しく更新する。お神楽もね、寺社に影響されて神楽殿を立てるようになったけれど、基本は仮設の使い捨てなんですって。たぶんそれが、祓いにこだわる日本人にあったやり方なのねと考えるようになりました。

でもね。そのシステムの中で作品をじっくりじっくり育てていく方法論は、考えるべきですよね。その意味でこれは、新しい作劇法かもしれません。

 

 

さて、再演を観ました。

幕が上がってしばらくは、やっぱりかみ砕くのが難しいモチーフなんだわ、こなれていくのにスゴク時間がかかりそうだわ、などと思ったのですが、

鉄器のエピソードあたりから話が転がり始めて、

すっきりと、ぐいぐいと作品が立ち上がってきていました。

このミュージカルは、こうやって人と作品が育って出来上がっていく様子も込みで、年月をかけて?楽しむ趣向なのかもしれない?と思います。

 

イムホテップさんの出番もナンバーも減っちゃったけれど、全体のバランスはくっきりしたし、むしろ初演のときに気を使っていただき過ぎてたんだわと思ったり。
そうして逆に、今まで経験なかった、舞台上のからだの存り方みたいなものがかもされてきていて新しいステキな財産になったみたいよ、とか。

ちなみに、メンフィスとうしろに控えるイムホテップというふたりの立ち姿が、思いがけずキレイで、むふふふ。

 

で、けんちゃんだわ。

とにかくかわいくてかわいくて。わたしはにやにやしっぱなしでした。初日前に散見していたインタビューの写真の表情がちょっと気になっていたのだけれど、心配して損したわ。あいかわらずメンフィスさまの男子としての萌えポイントはわからないんだけれど(爆)、メンフィスを演じてる腕白坊主なけんちゃんにはキュンキュンできます。

特に昨日のアクシデントの対応や勢いには(そしてフォローしたみなさま、特に剣を逆手でポージングしたあなた! グッジョブです☆)、もう神。

 

聖子さんとのラブシーンも、ロマンティックで力強くて、よいわね。

 

わたしが感じる聖子さんの一番の良さは、極上の笑顔に秘めたしなやかな強さ!なので。キャロル、もうちょっと現代的なアメリカ娘じゃだめかな~ 最後のほうのあの切り替えのね、あれの予兆みたいな伏線、いれちゃだめなのかな~ とか思ってしまうのでした。やっぱり原作まんがキャラの完コピが優先なのかな~

 

平方くんは、スイッチがはいるとおもしろいんだけどムラがあるんだよなぁと以前思っていましたけれど、もしかしてもしかして集中力が途切れるのが少し早いの?が昨日の感想でした。(ごめんなさい)
イズミルさんとしてのリミッターも、まだはずれてないかな。はずれるとおもしろそうなんだけどな。

 

 

 

そしてこの作品の美しさは、繊細な色合い。美術と衣裳と照明の。

アンサンブルさんたちのあの衣裳、古代エジプトの壁画がモチーフで、線画を立体にするとこうなるのか!が実はマニアックなツボのひとつです。

あと照明のね。客席天井のぎざぎざまで計算してはみ出したスケール!

 

違う空間がオーバーラップするシーンが多いでしょう? わたしは劇作を習ってたとき、そういうときは床の高さを変えるか照明で区切るのが鉄則と言われてました。ですので、同じ平面同じ照明で表現されてるのが、どうしてももどかしく感じてしまいます。巨大セットを動かすとリズムが狂うからかな。

 

 

パンフレット。アイシスさまのフォトジェニックたくさん。

ところでISISの発音ですが、エジプトで泊まったホテル名を友人とふざけてイズイズと読んでたら現地の方はイジーズと発音してたのでした。役に立たないトリビア

 

 

『アニー』

PCがクラッシュして以降、お気に入りリストが消滅して毎日読むブログはたったひとつになってしまったのだが。(SNSのせいだな~)

 

先日、『アニー』の特番がありますとブログを読み、時計をみたら30秒前でした。

うあー。なんなの、この感じ。

 

で、そこで拝見した山田大先生が演出する様子がメチャステキで、うらんさんがめちゃかっこよかった件。

ワークショップをおそらく初めて体験したことは、オーディションに参加したかの女たちにとって大きな財産になりそうだな、ということ。

あと、200人のどのコに対しても、一定のトーンでていねいに同等に挨拶する山田さんの声にもちょっと萌え。

阿原について

テレビで古館さんが民放とNHKで苗字がらみの番組をやってたのにつられて、

 

 

【阿原 全国】でぐぐる検索してみた。

 

name.sijisuru.com

↑↑ 全国で172人程度って、東京にほどんどいないって、
うちの親戚だけでも東京20人くらいいるヨ~と言いたいです。  

40年くらい昔の電話帳では、わたしの知らない阿原さん(つまり親戚以外)が23区内で10世帯くらいはいた記憶がありますしね。

 

myoji-yurai.net

なので、↑↑こちらの530人って数字のほうが信ぴょう性がありそうです。

 

【全国順位】 12,167位
【全国人数】 およそ530人

 

全国で530人の阿原さん。少ない。でも500人近いわたしの知らない阿原さんがいることに、ちょっとどきどきします。

 

うちの本家筋は富山です。祖父母が富山から東京に出てきました。なので富山に多いのは納得。ちなみに本家さんのわたしの曾祖母は、3人養子さんを取って全員追い出したというエピソードの持ち主だそうです。

 

おじいちゃんが使っていた家紋は「覗き木瓜」。

kamondb.com

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そして。

【阿原 由来】ぐぐる検索してみた。

① 

baba72885.exblog.jp

「あしはら」の地名は短縮形になって「あわら」という地名になっている。
「阿原」は「あわら」の音をもらってつけた地名で、元来は「葦原」が正しい。
さて、「葦原(あしはら)」は日本の古名「葦原中国(あしはらのなかつくに)」に見えるが、「あし」は「悪し」につながるので、真逆の「良し」をつかって「吉原」という地名になっているところがある。
さて、「葦原(あしはら・よしはら)」は「葦」が生えているから名付けられたと誰しも思いがちだがちょっと待て、日本は沖積平野に湿地帯が多く、漢字の伝来以前はそういう悪い条件の場所を「あしはら(悪し原)」と呼んでいた。この「悪し原」に繁茂していたやっかいな植物を「葦(あし)」と名付けたのだ。
つまり、葦が生えていたから「葦原」という地名にしたのではなく、「悪し原」に生えていた植物の名前を「葦」にしたのだ。 

 

山梨県昭和町 > 町政情報 > 昭和町の歴史

水のある地を「あわら」というところから。

 

③ 

弟の古いブログもヒットしましたw (残念ながら、リンク先のほうは生きてません)

ameblo.jp

 

「あわら」の地名

「あわら」とは、北陸地方で「低湿地」を意味し、「芦原」「粟原」「湶」「阿原」「荒原」「英原」「淡原」などの字をあてた。

 

 

 

ここでわたしが気になるのは、おじの代までは「あばら abara」と濁って発音していたことです。父が「あはら ahara」を使い始め、いとこたち以下はほぼそちらを名乗っています。上記に沿っていうと、アシバラから来たってことかしら。

わたしは小さいころ、ご先祖があばら家にすんでたから、もしくはあばらが浮くほど痩せて貧乏だったから、あばらという苗字を配られたのかなと考えていました。

 

( ̄▽ ̄)

 

ちなみにわたしのお気に入りの独自解釈。

【阿】も【原】も、ものごとのはじまりを表す漢字なのだ!!

 

 

【阿】  梵語の第一字母aの音写。

dictionary.goo.ne.jp

 

【原】 みなもと。水源。 物事のもと。起こり。始め。

  ※字の形は崖(厂)から泉が湧いている様子から来ている。

dictionary.goo.ne.jp

 

 

『アラジン』

(四季劇場『海』。今回、新橋駅から初めて迷わずたどり着けました。ぱちぱち)

 

わたしに台本を書かせてくれてたカンパニーの主宰ジョージさんが、『アラジン』のジャファー役で、役者としての現役復帰を果たしました。

 

数年前、かれの歌声を久しぶりに聴く機会があり、その声の持つ広がりに、なんでちゃんと挑戦しないの?とか言った身としては、

かれの決心とともに、予定していた公演がなくなり、用意してたテキストが宙に浮いても、

心から喜びたい。

 

 

ジョージさんのジャファーは、微妙なズレを感じるジャファーでした。

他の全員が、テーマパークのキャストさんというか、原作アニメのイメージの完コピを目指している中、自分の感覚を信用しているというか、

だから。相棒のイアーゴに対してちゃんと向き合っている人の好さとか、悪人だけどちょっと笑えるおっちょこちょい感とか、ジョージさんならではのジャファーになっていた。これ、舞台役者としてはとても普通のことなんだけれど、最近の四季の芝居の中では異質な方法なのね。

 

最後の見せ場では、劇場をちゃんと恐怖で支配していて。

おかげでカーテンコールではすっかり消耗してましたよ。終演後にお会いしたら見違えるほど痩せてました。(あ。現役復帰に向けてまず、かなりダイエットしたの。打ち合わせのたびに自慢されてましたワ)

 

ジャファーの場当たり稽古では、カンパニー全員がおつきあいくださったとか。以前それを聞いたとき、お、意識高い系のカンパニーなのね、と思ったけれど。 

今回拝見した舞台も、
ロングラン驀進中とは思えない密度と熱量の高さでした。アンサンブルさんたちがぐいぐいとこちらにたたみかけてくる迫力。

もともと普通のミュージカルの五倍くらいの段どりと色彩とテンポで押し出してくるのが楽しい作品なのですが、

あー。わくわくする舞台を魅せてもらったなあ。

 

欲を言えば、動作のメリハリ。それだけ。

 

 

ジーニー、前回とは違う方が演ってらっしゃるけど、区別つかないほど「同じジーニー」でした。そのくらい完コピなのです。それがいいのか、わからないわね。ディズニー作品にかぎっては正解なのかしら。

 

今回の阿久津さん、たしか『マンマ』で誠実な役作りをする人だなと思った記憶があるのですけれど。えー、ジーニーできちゃうんだ、とびっくり。

 

 

 

なんか続けての観劇で、四季ファンに戻った感触だわね。

この感覚で『王家の紋章』(東宝)を観たら、違う何かがみえるのかしら?